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キーワード「坂の上の雲」の検索結果は以下のとおりです。

兜の緒を締めよ

隆盛を求めるには時を要するが、凋落はあっという間だ。隣国の低迷を明日はわが身と、成果をあげている今こそ、兜の緒を締めなくてはならない。

産経新聞の主張(社説)「五輪球技の活況 快挙にも兜の緒を締めよ」(6/15)から。隣国とは韓国のこと。日本は、多くの球技種目でパリ五輪への出場を決めた。それを、あまり成績の良くない韓国と比較している。

在京六紙の社説が、五輪での特定の競技の出場権を議論するのは珍しい。それも他国のそれを引き合いに出すのはかなり稀だろう。ちょっとどうかと思わなくもない。が、調子の良い時こそ、慢心せず将来への「備えを怠らない」、その主張は当を得ている。

この社説が目に留まったのには理由がある。十日ほど前に、友人とのやり取りの中で「兜の緒を締めよ」と書いた。同じ言葉が、きのう、社説のタイトルに登場したのだ。

友人からこんな話があった。「武という字は戈(干戈=矛と盾)と止という字から成り立っていて、本来の意味は戦いをやめること。それに術(テクニック)がついて、敵の攻撃を無害化して自分を護って、攻撃を諦めさせて交戦状態を友好交流に転化して」云々。

戦いをやめる、戦わない、そこから、日露戦争での連合艦隊解散ノ辞へ連想が飛んだ。その最後の部分を返信した。「奮励し、万全の実力の満を持して放つべき時節を待たば、こいねがわくば以て永遠に護国の大任を全うする事を得ん。神明はただ平素の鍛錬につとめ戦わずして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治平に安んずる者よりただちにこれをうばふ。古人曰く、勝つて兜の緒を締めよ、と」。

さて、6/10週の六紙社説は、そのほかに、少子化の加速、保護司殺害、欧州議会選、東京都知事選、「セクシー田中さん」問題、JPドラゴン逮捕、佐渡金山、財政再建目標、G7サミットなどを話題にした。

六紙社説、坂の上の雲第6部平和は槍で得るものなのか(いずれもサイト内)

史上最もやっかいな問題

占領地や植民地で支配・被支配の関係をつくれば、かならず憎悪の連鎖が始まります。

橘玲氏のコラム(10/30)から。

イスラエルとパレスチナの対立の話なのだが、支配、被支配の関係はそこに限ったことではない。それに、今、目に見えていることだけでもない。連鎖する憎悪の根は過去にある。例えば百年前の時代には日本は支配する側にあった。今を生きる我々は、その事実をそして支配された人たちの憎悪を決して忘れてはならない。

私たちと戦後責任銃撃事件と旧統一教会パール判事坂の上の雲 (3)(いずれもサイト内)。「人類史上最もやっかいな問題」はどうなるのか?(10/30)

ひとびとの跫音

  • 2022/02/22 06:26
  • カテゴリー:読み物

独自のボヘミアン的孤立生活者のスタイルを作りだしていた。

学生時代の正岡忠三郎を評して富永太郎がそう言っていたという旨のことを大岡昇平から教えられた、と著者は書いている。司馬遼太郎全集第50巻(文藝春秋、1984年、第二期最終巻)に所収の「ひとびとの跫音」から(p87)。その単行本は1981年7月刊行。

「子規全集」(正岡忠三郎ら監修、講談社)出版までの顛末。「坂の上の雲」の続きと見る向きもあるかもしれない。その長編執筆の楽屋話という性格もある。著者お得意の「余談」を寄せ集めたような構成。子規の死後養子、忠三郎と、その親友、タカジ(西沢隆二、ぬやま・ひろし)を軸に、有名無名問わず色んな人たちが入れ替わり立ち替わり登場する。「グランド・ホテル形式の小説として成功」と評価されているようだ。

坂の上の雲働き方2.0vs4.0(いずれもサイト内)。明石市大久保(p247)、新日本放送(p182)。司馬遼太郎富永太郎大岡昇平西沢隆二|Wikipedia

Re: 文明の生態史観

  • 2021/08/03 06:31
  • カテゴリー:読み物

せいぜい文化論で、文明という言葉をつかうと、学術書ではないという雰囲気がありました。しかし、それが今日、一九八三年に比較文明学会という学術団体もできていますし、文明を無視して世界を語ることがむずかしくなってきました。

梅棹忠夫著「文明の生態史観」(1967年)の意義の一つ、日本における文明学の先駆。川勝平太氏が著者との対談でそう語る。梅棹忠夫編著「文明の生態史観はいま」(中央公論新社、2001年)、第3章 対談「文明の生態史観」の今日的意義から(p64)。

特集「二十世紀図書館」(文藝春秋、1998年8月号)に、後世にのこすべき本を識者に訊ねたアンケートの集計が出ているとか。1) 司馬遼太郎「坂の上の雲」、2) 西田幾多郎「善の研究」、3) 夏目漱石「吾輩は猫である」、4) 梅棹忠夫「文明の生態史観」・・・

文明の生態史観(サイト内)、ethnocentrism(自民族中心主義、p12)

次の本へ

  • 2021/07/26 06:30
  • カテゴリー:読み物

お二人の現実認識は大きく異なっている。なぜこのようなことが起こったのかについてのお二人の説明はさらに大きく異なっている。現実は一つしかなく、その正しい認識も一つであるという常識は本当に正しいのだろうか。

林原の倒産について、社長と財務担当専務が各々本を書く。同じ会社の経営に携わり、きわめて近くにいた二人なのに、「二冊の本を読むと『現実は一つ』という常識が変わる」(加護野忠男著)。苦楽堂編「次の本へ」(苦楽堂、2014年)から(p120)。

# カバーや本文中の装画は、青山大介「海文堂書店絵図1914-2013」とある。「文明の生態史観」から「坂の上の雲」へ(彼らは友人同士だった、江坂彰著)

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