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2019年10月02日の記事は以下のとおりです。

手紙

  • 2019/10/02 06:28
  • カテゴリー:読み物

あっちを取ればこっちを取れない、人生は何かを選ぶ代わりに何かを捨てるってことの繰り返しだ。

東野圭吾著「手紙」(文春文庫、06年)から(p210)。あっちの代わりにこっちを、と気楽な選択なら良いけれど、選びようによっては何もかも崩れ去り奈落の底に落ちる。話は重い。第四章の4(p313-)、平野社長とのやり取りがハイライトか。

ラグビーとの距離

  • 2019/10/02 06:00
  • カテゴリー:未分類

1974(昭和49)年の「われら青春!」、この熱血青春ドラマでラグビーという球技を身近に感じるようになった。おれは小学校の6年だった。北海道ロケの回(二話連続)が深く印象に残っている、調べてみるとそれは勘違いで、一つ前の「飛び出せ!青春」での挿話だったようだ。毎回欠かさず熱心に観た割には記憶は混線しつつある。

高校の体育の授業でラグビーがあった。1978、79、両年度のこと。授業では色々な競技をする中、寒い時期のメニューはラグビーが主だった。ラインアウトからのモールを何度も何度も練習させられた覚えがある。3年次になると体育の授業はなくなり、ほっとしたような物足りないような妙な気分だった。

フランスの作曲家オネゲルの作品に「ラグビー」という曲がある。交響的断章第2番「ラグビー」H.67(1928年)。大学のオケにいた頃、第1番の「パシフィック231」を好んで聴いた一方で「ラグビー」の方はそうでもなかった。ただ、これに触れたことで、ラグビーという競技がフランスで盛んなことを知った。

就職した会社のラグビー部が、関西社会人リーグで戦っていた。バブルの頃だ。トンガだかニュージーランドだか南半球の国から助っ人も一人ならず迎え入れ奮闘。残念ながら、トップの神戸製鋼などには遥かに及ばず下位のリーグにあった。上位のリーグへ上がれそうな年には、動員がかかって皆で応援に行ったもんだ。あの頃が一つのピークだった。その後、部は十年ほど続いて解散した。web で調べると2002年とある。その年だったのか。その年の秋、おれは別の会社へ転職した。

われら青春!飛び出せ!青春ラグビー (オネゲル)関西社会人リーグ (いずれも出典は Wikipedia)、Arthur Honegger (1892-1955)

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