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日本の名城解剖図鑑

木造復元の先駆者となった三重櫓

と、白川小峰城の見出しにある。米澤貴紀著「日本の名城解剖図鑑-城のカタチに心ひかれる仕組みを探る」(エクスナレッジ、15年)から(p90)。

白川小峰城の三重櫓、名に櫓とあるが実態として天守だった。戊辰戦争で失われたその三重櫓が木造復元されたのは1991年。同書から拾ってみると、その後の天守(相当含む)の木造復元は、1992年首里城、1994年掛川城、1997年白石城、そして2004年大洲城と新発田城、と続く。

火天の城

墨を打ち、梁、桁、貫、大引を噛ませるほぞ穴はもちろん、内部用なら敷居、鴨居、長押のための穴、外壁用ならば、壁を塗るための間渡し竹の穴、下見板を取りつける台の穴などを刻む。万が一、ほぞ穴の位置が違っていれば、天主は組めない。乱暴に扱えば、汚れ、傷がつく。時間は足りないのに、仕事はあくまで慎重でなければならない。刻みの日々は、とりもなおさず忍耐の日々であった。

山本兼一著「火天の城」(文藝春秋、04年)から(p202)。安土城を建てた番匠(大工)の物語。話は面白い。それ以上に技術面の記載が興味深い。

木曾上松(あげまつ)が登場する。「太さ一尺五寸角、長さ八間の大通柱が四本」、それを「天下一の檜」の産地である同地に求める。現在、木工の専門学校があるあの上松だ。たまたま知ったのだが、7月場所で優勝した御嶽海の出身地でもあるらしい。

大工道具物語

いま、私たちの身の回りのものは、高度に管理された工場で、優秀な機械によって、効率よく、正確につくられている。あらゆるものが、あたりまえのように立派にできてしまうので、つくられる過程や、それをつくりだすための工夫や努力が見えにくい。その結果もののありがたさやものづくりの大切さがなおざりにされてはいないだろうか。

画を担当した安田氏が、「はじめに」でそう書いている。竹中大工道具館著、安田泰幸画「水彩画で綴る大工道具物語―竹中大工道具館収蔵品」(朝倉書店、09年)から(p6)。この本は、最寄り図書館(牧志ほしぞら)の書棚にあった。

懐かしいお名前だ。安田氏のことは、氏の著作「ハンドワークノート京阪神版」(プレイガイドジャーナル社、79年)で知った。おれが高校二年のときだ。大事にしていたその本は、いつか失ってしまった。が、不思議な縁で、2013年に別のもう一冊を手にすることになった。譲り受けて手元に置いている、沖縄へ引っ越しする際にほとんどの本は処分したのだが。

組み立て式棚、完成

課題3の組み立て式棚、塗装を終え完成。自宅に持ち帰った。木工教室には週一回お世話になっている。3月から通い始めて4か月が経過。ここまでで、受講初期の課題三つを終えた。刃物の研ぎや大型機械での作業など厄介なことは先生が面倒見て下さる。初心者のこちらはつくることに集中できて、頗る楽しい。

課題1は、二枚の板を直角に継いだブックエンド、仕口は蟻組み。課題2の写真立ては、かんざしを差した平留め継ぎ。そして、課題3の棚は、平ほぞ継ぎ鼻栓と蟻桟。いずれもクギ類を使わない伝統的な手法によって組み立てる。そして、作業は、基本的に手道具で。

課題3は、安価な SPF 材が教材だった。板接ぎ(1×2材と1×4材)から始めて、最後のフラット上塗りまでの全作業にたっぷり2か月を要した。課題1-3など各題材の作業はある程度並行して進み、課題3の作業が少しでもあった回数を数えると正確には11回だった。だいぶ時間がかかってしまいました、と教室で話ていたら、先生が言うには、

ホゾ穴を全部、手でやってましたからね

と。手で、というのは素手ではなくもちろんノミを使った手掘りのこと。課題3でのホゾ穴は12か所。ノミの練習になると思い、手掘りにしたのだが、やはり時間がかかったのだ。たいがいの生徒さんは、一つか二つを手でやって、あとは角ノミ盤なのだとか。

課題3と併行してスタートした新しい題材「玄関スツール」にもホゾ穴がある。これは試しに、その角ノミ盤でやらせてもらった。上下と前後の位置決めをすれば、左右にずらして行くだけで、ぴたりと同じところにホゾ穴が開く。正確だし、何と言っても楽だ。先生は、手でやるのに比べると作業時間は 1/10 ほどと言う。それよりもっと少ないんじゃなかろうか。四か所、あっという間に済んだ。

課題のあとは題材を自分が選ぶ。形状や、デザイン、サイズ、材料、色など、自分好みの家具を、先生ご指導の下、つくることができる。まずは、玄関に置くスツールからスタート。小机など順次つくる予定にしている。

テンペスト

王府が建造した新しい船は、清国式のジャンク戦だ。竜骨と隔壁構造を持つ船は、インディアン・オーク号よりも構造的に優れている。これでちょっとした嵐でも沈没することはないだろう。読谷村の河口で建造中の船は急拵えとは思えないほど美しい

北谷沖で難破した英国船の代わりに、王府が読谷(の渡具知)で代替船を造ったのは史実だったんだな。先日の文化講座「近世琉球の船舶―造船技術の現状と課題」でその話を聴いた。北谷町誌にも記載されているとか。引用は、池上永一著「テンペスト」(角川書店、08年)から(上巻、p184)。

これ以外にも、この小説には、様々な史実が織り込まれている。宮殿内の間取りや建物の位置関係もよく研究されているし、王府の位階は事実を踏襲しているようだ。それもあってか、表では役人たちの出世競争、裏では後宮の女たちを取り巻く醜状、そして表と裏の駆け引きや陰謀、それらは、オビにある通り「圧倒的にリアル」だ。

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