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カテゴリー「工芸・美術」の検索結果は以下のとおりです。

経営とデザインの幸せな関係

これを読めば誰でも明日からよいブランドをつくれるかと言われれば、そうではないということです。「やり方がわかること」と「うまくやれること」の差はあります。

中川淳著「経営とデザインの幸せな関係」(日経BP社、16年)、そのあとがき(p286)から。著者は、また、違う表現でこんな風にも言っている、「”気づき”みたいなものを得られる人と得られない人がいる」(p253)。うまくやれる人、気づきを得られる人は、いわゆるパレートの法則2:8の2の側の人とでも言えばいいだろうか。この本に限らず、たいがいのビジネス書はそういう人たちのために書かれている。

デザインについて

お伝えしたいのは、より進んだ技術を求めつつ、同時に自然が求める美しいかたちづくりに向かう姿勢です。すなわち、実用的で、なおかつアート・デザイン性の高い作品を作ることです。

アニ・アルバース著「デザインについて-バウハウスから生まれたものづくり」(白水社、16年)から(p44)。バウハウスで検索してヒットした何冊かの内の一つ。著者は、主にテキスタイルのデザインで才能を発揮した工芸作家。

美の構成学

技術の発展が工業化社会をつくり、国力を豊かにしてきたという技術への絶対的信頼から、科学的手法による造形へのアプローチが優先されはじめた(略)。このようにして生まれた人工の形には機能を徹底的に追求した上で求められる機能美が秘められていると人々が気づきはじめたのである。

三井秀樹著「美の構成学-バウハウスからフラクタルまで」(中公新書、96年)、その小見出し「写実と構成学」(p153)の節から。

美術は、長い間、実物を自然にあるがままに再現する、いわゆる写実が主流だった。具体であり具象である。ドイツで百年前に設立された美術造形学校バウハウスもまた、自然にある材料を造形素材として研究した。天然素材に加えて、さらに金属やプラスチックなど人工的な材料にも着目し、幾何学的形体による造形教育を推し進めた。具象より抽象造形が優先されるようになり、写実から、科学的手法による造形や描写へと重点が移って行った。

某社の受付にて

きのう(3/4)某社を訪ねたときの事。受付で、おはようございます、○○部の○○さんとお約束をいただいているのですが、と切り出した。受付嬢は、お待ちしておりましたと言って、こちらに名乗らせることなく、受話器を取り上げその部署へ取り次いでくれた。おれはエレベータで上階へ向かいながら考えた。こちらの名前を確認しなかったのは、訪問者の個人情報を保護する方針の表れだろうかと。受付の周りには何人か人がいた。確かに、あの場で名前を告げたり訊ねられたりするのはあまり気持ちの良いことではない。それを避けるくらいの配慮が先方にあってもおかしくない。何せ一流企業(の受付)だ。それとも、やって来た者の名前を訊ねなかったのは、受付嬢が、単に迂闊だったということだろうか。エレベータが指定された階に着いた。ドアが開くと、人が待っていた。おれに向かって、〇〇です、と素早く名乗った。この日会うことになっている方だ。やはりと言うべきか、おれは、そのまま、名前どころか一言もしゃべることなく応接室に通されたのだった。

経営における「アート」

多くのビジネスパーソンが、論理的な思考力、理性的な判断力を高めるために努力しているわけですが、そのような努力の行き着く先は「他の人と同じ答えが出せる」という終着駅、レッドオーシャンでしかありません。

確かに、皆と同じ事やってりゃ結果は変わり映えしない。山口周著、世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?-経営における「アート」と「サイエンス」(光文社新書、17年)から(p48)。

下手にマイケル・ポーターなんかを勉強せずに、端から本人のセンスやカンを頼りに事を進めればいいんじゃないの、という意見もありそうだ。するとどうなるか。出資者や会社の上層部は納得しない。論理的な説明が必須となる。会社がデカければデカいほど、その掟から逃れられない。斬新なアイデアに基づく新事業が、デカい企業からは生まれない、そうなるべくしてなっている。

「老けない人」は大人になっても遊んでいる-遊びと仕事は境界線が曖昧なほうがいい(東洋経済ONLINE、2018/05/01 11:00)スコット・バリー・カウフマン:心理学者

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