捨てるvs拾う
- 2019/02/13 06:44
- カテゴリー:工芸・美術
ダリが「私の肯定的条件」と「私の否定的条件」を挙げていたので、ぼくもそれにならって、自分なりの二項対立を試みた
横尾忠則著「捨てるvs拾う-私の肯定的条件と否定的条件」(日本放送出版協会、03年)、その前書きから。対立する二項では、『市民ケーン』/ 市民権、や、バロック建築 / バラック建築、など言葉遊びがある一方で、光琳 / 琳派、修業 / 修行、など、字引きで確認しよう、と思わせる組み合わせも多々ある。
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ダリが「私の肯定的条件」と「私の否定的条件」を挙げていたので、ぼくもそれにならって、自分なりの二項対立を試みた
横尾忠則著「捨てるvs拾う-私の肯定的条件と否定的条件」(日本放送出版協会、03年)、その前書きから。対立する二項では、『市民ケーン』/ 市民権、や、バロック建築 / バラック建築、など言葉遊びがある一方で、光琳 / 琳派、修業 / 修行、など、字引きで確認しよう、と思わせる組み合わせも多々ある。
信じられないが、本物のサルバドール・ダリだ。「君かね、アーティストは?」ぼくの前で立ったまま言った。威圧されたぼくは立ち上がって挨拶するのも忘れてしまった。
スペイン政府に招かれた「日本のアーティスト」だ、ダリに会いたいのだが、とリクエストすると、なんと、その日の午後に邸へ来いと言われ、著者(ぼく)はカタルーニャ州カダケスへ訪ねて行く。現れたダリは、そのアーティストやらを自身の目で見てやろうとでも思ったのだろうか。横尾忠則著「ぼくなりの遊び方、行き方-横尾忠則自伝」(ちくま文庫、15年)から(p278)。時は1976年、サルバドール・ダリ(1904-1989)72歳、著者(1936-)40歳の頃の話だ。
作家が個展で発表する作品が、じつは弟子の手によるものだというのは、芸術の世界ではさほど珍しいことではない。
同じような話を、つい先日、聞いた。自分のデザインで誰かにつくらせることは、木工芸の出展作の場合でもあるのだとか。引用は、東野圭吾著「聖女の救済」(文藝春秋、08年)から(p258)。ガリレオシリーズを順番に読んでいる。ただし、「容疑者Xの献身」に続いてこの「聖女の救済」と、短編集はとばして長編だけピックアップ。
# 芸術なんかじゃなく「実用品です。生活に役立つことが第一です。でも、目で見て楽しめ」(p61)るとなお良い。
美術工芸の公募展に応募したところ、賞をいただくことになった。それも、まさかの最優秀賞(一般の部)。最初、その連絡を受けたとき、悪い冗談だろうと思った。確認のために web の結果発表ページを開き、そこに自分の名前が出ているのを見てもなお半信半疑だった。これは何かの間違いではなかろうか、いやいや、同姓同名の方が他にいるのではなかろうかと。が、賞の審査に関わった方から、直接、電話がかかって来るに及んで、受賞の話は本当のことだったのだ、と、いよいよ確信するようになった。まさかのことが、起こるんだな。
その電話の主は、講評を書く上で確認したいことがあるとおっしゃった。講評付きの図録が発行されるのだとか。あとで web 検索すると、なるほど過去数年のものが出て来る。併せて、受賞者のインタビュー記事、写真付き、もヒットした。そのうち新聞社から連絡が来るのだろうか。参加することに意義があるとばかり、初学者の気楽さで応募したものの、大ごとだなこれは。
この線彫りの線も手書きと判る波のように揺れている線の方がいいと思う。命というものだっていつでも揺れているし、気分というものもそうだ。
地元ケーブル局で放送(12/17)された「次郎さんの魚が笑ってる-沖縄の陶工・金城次郎」(NHK特集、87年11月)から。番組の中で、当時の壺屋の風景がちらっと映る。場所を特定できるかどうか、あらためて観てみようと思う。