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確定申告、25年3月

今年はぐずぐずしていて申告期間最後の週末になってしまった。昨年同様Lubuntuマシンで実施。Linuxは、国税庁の推奨環境に依然として登場しないけれど特に問題なし。

Lubuntu 22.04.5 LTS
Linux 6.8.0-52-generic
Google Chrome 134.0.6998.88
E200HA(ASUS)

BGMは、NHK-FM歌謡スクランブルの特集「放送100年スペシャル」。「知床旅情」「ひとり寝の子守唄」「琵琶湖周航の歌」「夜明けのスキャット」「手紙」「挽歌」など。この国にはいい唄がある。

web上の確定申告書等作成コーナーを使うのは今回で19回目、電子送付は7回目。戸惑うようなことは最早ないのだが、しばし作業の手を止めて歌声に聴き入ったりするので滞る。ダウンロードしておいた90分番組を2本聴き終えた頃に、ようやく送付を終えた。

確定申告Lunbuntu(いずれもサイト内)。歌謡スクランブル▽放送百年SP(3)【ゲスト】加藤登紀子(NHK-FM、3/8 12:30-)深沢彩子、放送百年SP(9)【ゲスト】由紀さおり(NHK-FM、3/15 12:30-)逢地真理子

叔母が姪に遺したもの (5)

これまで、うだうだと経緯を書いて来たけれど、つい先日、相続放棄は完了したと兄から連絡があった。家裁から届いた通知書の日付けは、期限にまだ少し日数はあった。だいぶ冷や冷やしたけれど間に合ったのだ。

事の発端は、東の街から母に届いた納税通知書。母は、納税する謂れはないと断りの電話を東の街へ入れた。その際、先方は、母に叔母さんの相続が発生していると伝えていた。母は聞いてないと言うのだけれど、先方のメモにその事実と日付が記録されていた。

その日からカウントは始まっていた。

その税金のことだけではない。ほかにも負の遺産の存在が疑われた。相続放棄しないと、たいへんなことになるかもしれない。帰省した折に、その事態に気付いた時点で、既に2か月が経過していた。家裁に照会したところ、相続放棄は、相続の開始を知ってから3か月以内に行う必要があると説明を受けた。残り一か月だ。

帰省先から沖縄へ戻り、相続放棄の手続きに添付する戸籍謄本の取り寄せなど、実際の作業をどのように進めるか考えあぐねていたのだけれど、結局、母と同じ市内に住む、私の兄に託すことにした。日数が限られる中、一連の手続きでは母の自署が求められる場面が何度かあり、近くに住む兄が担当する方が都合が良いと判断した。

母の妹も同時に相続放棄することになった。こちらの作業は従弟が担当。彼も含めてLINEにグループを開設し進捗を確認しながら進めた。各街へ請求した戸籍謄本などが届く度に皆でその記述を精査して次々に資料を取り寄せた。

取り寄せや申述書の記入などの作業では色々と逡巡や確認の過程があったけれど、一々記すのは省こう。おおよそ作業は順調に進み、期限の3か月が経過するまでに申述書を家裁へ送り届けることができた。相続放棄は完了。終わり良ければすべて良し。

あれこれファイルを整理して一件落着。亡くなった大叔母の冥福を祈って、このシリーズを終えることにしよう。

叔母が姪に遺したもの(サイト内)

叔母が姪に遺したもの (4)

帰省先から沖縄へ戻ったその夜、従弟へ連絡した。その日の朝から昼にかけていくつか電話をかけた、それによって判ったことなどを伝えた。

大叔母さんが亡くなり、負の遺産を遺した可能性がある。相続権が、その人の姪である私の母やあなたの母親へ移って来ている。母親二人は、相続放棄するつもりであることを今日確認した。今後、その手続きを進めることになる。と事情を説明し、この作業に参加してもらうことになった。

私の母と彼の母は姉妹だ。二人が同時に相続放棄を手続きすることにメリットがある。家裁の説明文にこうある、「重複する(共通する)戸籍謄本については、各1通で結構」と。具体的には、今回手続きの際に添付する資料4通の内3つまでは共通なので、残る一つを姉と妹の分、各々用意すれば良い。合計5通で、二人分の手続きができる。

その5通の内訳は、戸籍謄本4通、戸籍の附票1通。それらは、どの街に請求すれば良いかは、ほぼ、判っている。あとは粛々と取り寄せの作業を行い、申述書を書き、家裁へ送付する、ということになるのだが、さて、実作業を、誰が、行うのが良いだろうか。

90歳に手が届く母らに相続放棄の手続きは荷が重い。息子の我々が代わりにすべきであることはわかっている。従弟に頑張ってもらうか、自分が数日また本土へ行って全て済ませて来るか、それとも、もう一つの手として、私の兄に頼むかだ。

申述書を送付するまでの一連の作業を考えると、母の近くに住む兄に託すのが一番なのだけれど、ちょっと躊躇う気持ちもある。と言うのは、

事の発端である納税通知書が東の街から届いた時、母は長男である兄にまず相談した、こんなものが来たけれどどうすべきかと。兄は、放っておいたら良いと言ったらしい。そうは言われたものの、母としては気になる。東の街へ電話をかけて、亡くなった叔母の代わりに税金を払うつもりはないと断った。それでも、ずっと心に引っかかっており、私が帰省した折に納税通知書を取り出して来た。母が東の街へ電話してから2か月が経過していた。

母から打ち明けられて、私は東の街へ電話をかけた。大叔母の分の納税通知書が母に届いた理由は、相続の先の順位の方が相続放棄したため、ということが判った。相続放棄した方がいる、ならば、ほかに負の遺産がある、と考えねばならない。それで、母も相続放棄することになった。

戸籍謄本の取り寄せなど実際の作業を、兄に頼むかどうか迷う。なにせ、届いた納税通知書を見て、放っておいたら良いと言った張本人だ。さあどうする。

まだいくつか確認したいことがある。それを済ませてから実作業のことは考えよう。第1日目はここまでで終わり。つづく

叔母が姪に遺したもの(サイト内)

トイレでの気付き

来た時よりも美しく

図面をプリントアウトするために時々立ち寄るコンビニ、そこのトイレでそんな貼り紙を見た。以前にはなかったような気がする。マナーの悪い利用客が増えているのだろうか。

随分昔その言葉を見たことを思い出した。まだ社会に出る前、何度もお世話になったお寺の宿坊にそれはあった。今も、公共の場や職場など共用スペースを使ったりする時に、来た時よりも美しく、と頭に浮かぶ。それは、あの墨書きされた言葉が、心の奥底に染みついているからなのだろう。

昨年だったと思う。そのコンビニのトイレには床に排水口があって、その金属製の蓋からヒントを得たことがあった。ある方のリクエストに応じて、スピーカーのエンクロージャづくりを進めていたのだけれど(#18)、正面グリルの意匠をどうするか考えあぐねていた。木工教室へ行く途中そのトイレに立ち寄り、排水口の蓋を見て、デザインをまとめることができた。

トイレで何かを思い出したり気付いたりする。別に意外なことではないのだろう。古くより三上と言われる。その一つ厠上もアイデアを得るところ。

梅雨明け、2024年(サイト内)、「春夏冬二升五合」、F02710H0、欧陽脩「帰田録」

叔母が姪に遺したもの (3)

母の叔母が死去。負の遺産の可能性あり。その相続権が母に移って来ている。先月帰省した際、そんな事態になっていることを知り、母の相続放棄を手続きすることにした。

事の発端は、東の街から届いた納税通知書だった。亡くなった叔母さんが未納分の住民税を遺したので、代わりに払ってくださいと母に送って寄越した。相続の先の順位の方が相続放棄したために、相続権が姪(や甥)に移動した、そういう事情だった。

管轄の家庭裁判所へすぐに電話して、相続放棄の手続きについて教えてもらった。亡くなった叔母さんの戸籍謄本など何通かの資料を添付する必要がある。が、叔母さんの本籍地がわからない。思いを巡らせる内に、はたと思い当たった。

東の街の納税係は、叔母さんの本籍地を知っているに違いない。そのほかにも色々と情報を持っているはず。なにせ母のところへ納税通知書を送って来たのだ。一連の戸籍謄本を読み込んで相続の行方を探らない限りそんなことはできない。

その納税係へ、この日二度目となる電話をかけた。同じ担当の方へ繋いでもらい、できたら母の叔母の本籍地を教えて欲しいのですが、と、恐る恐る頼んだ。すると、いいですよと快諾の返事があった。ただ、個人情報になるので、確認のため、納税通知書にある通知番号を読むよう指示があったのでそうすると、電話がしばらく保留になった後に、叔母さんの本籍地を教えてくれた。

それは、東の街から北へ数十キロ離れた街だった。相続放棄の手続きに添付する資料4通の内、1)と2)は、その北の街へ請求することになる。念のため、資料4)についても訊ねてみた。母の父の死亡が記された戸籍謄本だ。やはりそれはその父、私とっては曾祖父、が筆頭の戸籍に記されているとの返事だった。丁重に礼を述べて電話を切った。

聞いてみるもんだ。どこにあるかすべて判った。これでだいぶ手間が省ける。それにどの街も近畿圏内にあり、快速電車が15分おきに来るようなところ。やろうと思えば、各お役所の窓口を回って添付資料を一日で集めることができるだろう。まずは一安心。

沖縄へ戻る時間が迫っているが、一つやっておくことがあった。母に妹がある。私にとっては叔母だ。母が相続放棄すると彼女に累が及ぶ。この件が始まった時から、一緒に相続放棄するよう、すすめるつもりだった。

叔母宅は歩いて数分。訪ねて行って経緯を説明した。彼女も90にならんとするが、のみ込みは早い。すぐに理解して、手続きは息子に対応させると言った。彼女の息子、私にとって従弟の連絡先をメモして実家へ取って返した。

この日そこまで作業を進め、空港へ向かい予定の沖縄便に乗った。つづく

叔母が姪に遺したもの(サイト内)

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