エントリー

カテゴリー「音楽」の検索結果は以下のとおりです。

ラトルのハイドン

  • 2018/07/23 05:55
  • カテゴリー:音楽

ハイドンは、非常に実験的と言える面があって、如何に聴く者を驚かせるか、そのための工夫に賭けていたような作曲家だった。そこが、ラトルがハイドンを好む最大の理由だ。

きのう(7/22)、NHK-FM「クラシックの迷宮」で、サイモン・ラトル&ロンドン交響楽団『ハイドン・想像上のオーケストラの旅』という CD が採り上げられていた。よりすぐりの楽章だけを切り出して演奏会を開いたのだとか(17年7月)。そのライブ盤。有名な「驚愕」第二楽章は入っておらず、この番組ではハーゼルベック指揮の演奏が一部使われていた。

協奏交響曲の夕べ

  • 2018/07/19 07:03
  • カテゴリー:音楽

昨夜(7/18)の NHK-FM ベストオブクラシックは興味深いプログラムだった。今、留守録したものを聴きながらこれを書いている。

レ・ヴァン・フランセ~協奏交響曲の夕べ

協奏交響曲 第5番 ヘ長調(Fl、Ob、Hr、Bn)
プレイエル作曲(22分36秒)

協奏交響曲 変ロ長調 作品41(Fl、Cl)から第1,3楽章
ダンツィ作曲(15分52秒)

協奏交響曲 第2番 ヘ長調(Fl、Ob、Hr、Bn)
ドヴィエンヌ作曲(21分43秒)

協奏交響曲 変ホ長調 K.297b(Ob、Cl、Hr、Bn)
モーツァルト作曲(27分29秒)

Fl)エマニュエル・パユ
Ob)フランソワ・ルルー
Cl)ポール・メイエ
Hr)ラドヴァン・ヴラトコヴィチ
Bn)ジルベール・オダン
東京フィルハーモニー交響楽団

東京オペラシティ コンサートホールで収録(2018年4月24日)

歓喜の歌が響く街

  • 2018/06/09 06:32
  • カテゴリー:音楽

楽器はドイツ領事館を通して入手した。どうしても足りないコントラバスなどは作った。ファゴットは足踏みオルガンで代用した。

番組の中で、鳴門教育大の頃安(ころやす)教授がそのようなことを言った。100年前の鳴戸、果たして第九の演奏にファゴットは使われたのだろうか。その疑問は解消された。エフエム徳島・TOKYO FM 共同制作 鳴門第九アジア初演100周年記念企画ドキュメンタリードラマ「歓喜の歌が響く街~第九の里・徳島県鳴門市の奇跡」(18/6/8 20時、再放送)から。

番組サイト http://www.tfm.co.jp/tokushimadaiku/ に、「霊山寺前での演奏会の様子」という写真がある。お鬚の指揮者が片足を載せる木箱は指揮台の代わりだろうか。その箱には、サクラビールと大書されている。右横書きで天地が逆。

いわゆる第九についてどう思っているか個人的な意見を、ついでに、書いておこう。まず思うのは、ファゴット吹きにとってオイシい曲であるということ。それは間違いない。ただし、聴く側に立つと、曲全体が冗長である点は大きな問題だ。その原因の一つ、第3と第4、連続する二つの楽章が変奏曲になっていること。これは理解に苦しむ。複雑だし、一体感や調和を損ねている。それに全体の演奏に要する時間が長過ぎる。必ずしも心地良い音楽じゃないし、全楽章通しで聴くには忍耐も要る。我慢して聞いていれば、ご褒美で、最後の方にあの有名な旋律が流れて来る。最後にオケは大音量で大団円。終わり良ければ総て良し。一時間、耐え忍んだことも忘れられる、という曲。

名曲悪口事典

  • 2018/05/30 06:51
  • カテゴリー:音楽

シェーンベルクは、不協和音を法則にまで昇華させようとする、もっとも過激な論者の一人である。美学には、醜悪を追求する美学もあるのだ。(『ジグナーレ Signale』ベルリン、1907年5月29日)

引用は、ニコラス・スロニムスキー著「名曲悪口事典 - ベートーヴェン以降の名曲悪評集」(音楽之友社、08年)から(p299)。原書、Nicolas Slonimsky: Lexicon of Musical Invective (New York, W. W. Norton & Co.)、初版53年、新装版00年。新装版に付いている Peter Schickele 氏の序文が、この日本語版でも訳出されている。PDQ Bach の Schickele 氏だ。

シェーンベルクへの悪口の数々は、目次でページ数を計算すると、三十数ページにも及ぶ。そのページ数は、採り上げられた作曲家の中で最も多く、悪口の一割ほどを占める。次点はワーグナーでほぼ同じ。もちろん著者による取捨選択はあったのだろうが、母集団の多さが反映されているだろう。悪評(の数)最上位にこの二人が来ることはしごく妥当だ(個人的意見)。

https://en.wikipedia.org/wiki/Peter_Schickele

雷鳴と稲妻

  • 2018/05/03 07:16
  • カテゴリー:音楽

昨夜(5/2)11時半ごろから雨になった。徐々に激しくなり、雷を伴った。

那覇市のアメダス(北緯:26度12.4分、東経:127度41.2)
時刻 降水量 風向
23時 0.0mm 南西
24時 5.5mm 北北西
25時 0.5mm 北
26時 0.0mm 北

初めのうちは遠雷だったが、段々と音量を上げて来る。稲妻も部屋の中をぱぁと明るくする程になって来た。雷雲が、こちらに向かって来ているのだ。稲妻と雷鳴との間隔が短くなって行く。ついにはほぼ同時になった。これは近くに落ちたな、と思う程の大音響が轟き渡った。

シュトラウスの「雷鳴と稲妻」に、一度だけ、乗った(=オーケストラでの演奏に参加した)ことがある。この曲は、雷雲が近付いて来て、また遠ざかって行く、そう思って演奏するのが良さそうだ、幻想交響曲第3楽章ほどには写実的ではないにせよ、とその折に感じた。中間部のトリオで、稲妻(シンバル)と雷鳴(バスドラム)が大接近する。雷雲が頭上を通過する場面だ(推測)。

そう思って、あらためて手元の音源を聴いてみた。いくつかあるうち、その状況、雷雲が接近しまた離れて行くその状況、が目に浮かぶのは、Peter Guth 指揮の演奏だった。

  • John Georgiadis: London Sym Orch 1992
  • Peter Guth: Royal Phil Orch 1998
  • Christian Pollack: Slovak State Phil Orch 1998
  • Leonard Slatkin: St. Louis Sym Orch 1996

ユーティリティ

« 2025年07月 »

- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

新着エントリー

過去ログ

Feed