安倍三代
- 2019/06/10 06:30
- カテゴリー:読み物
子犬が狼の子と群れているうち、まるで狼のようになってしまった
青木理著「安倍三代」(朝日新聞出版、17年)から(p266)。政界に入った普通の人が周りに染まって右傾化していく、さもありなんと思う。しかし、その普通だった人が、宰相にまで登り詰め、かくも長きに渡って政権の座にある。子犬と評されたイメージとはだいぶギャップがある。ギャップを乗り越えるパワーをいかにして得るに至ったのか、それは、この本を読んでも判らなかった。
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子犬が狼の子と群れているうち、まるで狼のようになってしまった
青木理著「安倍三代」(朝日新聞出版、17年)から(p266)。政界に入った普通の人が周りに染まって右傾化していく、さもありなんと思う。しかし、その普通だった人が、宰相にまで登り詰め、かくも長きに渡って政権の座にある。子犬と評されたイメージとはだいぶギャップがある。ギャップを乗り越えるパワーをいかにして得るに至ったのか、それは、この本を読んでも判らなかった。
学問だ芸術だって高邁ぶることはない。所詮は人間の創造した自己救済の方便の一種じゃないか。
円地文子著「食卓のない家」(新潮文庫、82年、単行本79年刊)から(p193)。この原作を読み、85年に観た映画は、そうそうこういう筋だった、と思い返した。細かいところはすっかり忘れてしまった中で、印象に残っているシーンがある。連行される犯人たち一人一人がカメラに映し出される。ここは、報道フィルムを使いドキュメンタリー風なのだが、残念ながら、中井貴一扮する乙彦のところだけ微妙に色が違い整合していない。待てよ、もしかすると、敢えて、別に撮ったことが判るように配慮したのかもしれない、そう思ったりもする。
# 七ツ下りの雨は晴らない(p184)、立ちて思ひ居てもぞ思ふくれなゐの赤裳垂れ引き去にし姿を(p435、万葉集巻11-2550)
虎の縞は洗っても落ちない
奥田英朗著「オリンピックの身代金」(角川書店、08年)から(p435)。連休中に放送された番組、ラジ放談「平成から令和へ」(TBSラジオ、5/5 20時)の中で、小説家・塩田武士氏がこの本を紹介していた。これを「2020年の東京オリンピックの前に読み返して欲しいんです」と。
今朝、先輩のことを書いた(一つ前参照)。その際あれこれ考えている内に、ある詩が頭をよぎった。ただし、題や作者は判然としない。夏、暑い盛りでも、役人も百姓も働かにゃならない、皆さんたいへんだのぉ、わしゃ、勤めやストレスから解放されてそんな苦労もない、ぼんやり、そういう詩だったような気がするだけだ。唐代の詩、だと思う。闇雲に調べてみたが出て来ない。待てよ、この悠々自適ぶりは、隠者らの雰囲気ではなく、比較的恵まれた生活を送った詩人、あ、そうか、白楽天だな。やはり、詠み人が判ると勝負が早い。すぐに見付けられた。タイトルは「苦熱」。
頭痛汗盈巾
連宵復達晨
不堪逢苦熱
猶頼是閑人
朝客應煩倦
農夫更苦辛
始慚當此日
得作自由身
漢詩は唐突に現れたのではなく前置きがあった。昨夜、芸大の公開講座を聴いたことがきっかけとなり、李白が鳳凰を詠んだ詩を探すことになったのだ。探し当てたそれは「登金陵鳳凰臺」。鳳凰、鳳凰と、三回続けて詠んでいるので記憶に残っていた。きのうから今日にかけて、頭の中の回路が「漢詩」に繋がっている、そんな気がしている内に、また少し何か読んでみよう。まずは、最近の気分に合う白楽天の詩集を図書館で探してみるか。