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カテゴリー「読み物」の検索結果は以下のとおりです。

愛読書十選 (2)

  • 2021/05/19 06:31
  • カテゴリー:読み物

その2は「影響を受けた本10冊」。普通は愛読書とは呼ばないのかもしれない。学校へ行っていた頃に読み、触発された本、10冊を選んだ。出会った順。

「ロウソクの科学」マイケル・ファラデー
「アルキメデスは手を汚さない」小峰元
「お楽しみはこれからだ」和田誠
「考える技術・書く技術」板坂元
「夢十夜」夏目漱石
「読書について」ショーペンハウエル
「生きるとは何か」島崎敏樹
「二重らせん」ジェームス・ワトソン
"Biochemistry", David Metzler 1977
「宇宙からの帰還」立花隆

"Biochemistry" は、副題 "The Chemical Reactions of Living Cells" の通り、生体をすべて化学反応式で、つまり電子の流れで解釈する野心的な書。セミナーのテキストだった。研究室のセミナーは、この生化学輪読、有機合成の文献紹介、そして研究の進捗報告、3つが毎週開かれた。

愛読書十選白夜行アルキメデスは手を汚さないお楽しみはこれからだ「夢十夜」第六夜(いずれもサイト内)。「知的生産の技術」梅棹忠夫、「元素の小事典」高木仁三郎、「夏の闇」開高健、"Natural Product Chemistry", Kurt Torsell 1983、「塩狩峠」三浦綾子、「企業内起業家」ギフォード・ピンチョー

没イチ

  • 2021/05/18 06:42
  • カテゴリー:読み物

倫理的に良いかどうかは別にして、妻と死別した後に一人でさびしくないよう、愛人を作っておくというのも一つの手かもしれません。

死んだ方は成仏できないだろうな。小谷みどり著「没イチ-パートナーを亡くしてからの生き方」(新潮社、2018年)、第三章「没イチを生きる知恵」から(p127)。その箇所の小見出しは、万が一のためのリスクヘッジ。

2018年今年の一冊|HONZ

愛読書十選 (1)

  • 2021/05/17 06:33
  • カテゴリー:読み物

nikkei.com の記事(5/6)で、小林喜光氏の愛読書が紹介されていた。阿部次郎「三太郎の日記」など、いかにもそれらしい本が並んでいる。これを見て自分も愛読書を選んでみる気になった。

まず今回は「手元に残した本10冊」。沖縄へ引っ越しするに当たって、ほとんどの本を整理した。その大処分を経てもなお捨てずに手元に残した本がある。順不同。

「モーツァルト事典」海老澤敏、吉田泰輔監修、東京書籍、1991年
「トランプ-ひとり遊び88選」野崎昭弘、朝日新聞社、1990年
「宝島生活歴-街の歳時記」宝島12月臨時増刊、JICC出版局、1978年
「ハンドワークノート京阪神版」TAG、プレイガイドジャーナル、1979年
「MS-DOSテキストデータ料理学」SE編集部、翔泳社、1992年
「奇病連盟」北杜夫、新潮文庫、1974年
「錦繍」宮本輝、新潮文庫、1985年
「河童の手のうち幕の内」妹尾河童、新潮社、1992年
「国境の南、太陽の西」村上春樹、講談社文庫、1995年
「生きた音楽表現へのアプローチ」保科洋、音楽之友社、1998年

十選愛読書十選(いずれもサイト内)。胆力の人、東電の抜本改革託される 会長に就く小林氏(5/6)

Re: 風の影

  • 2021/05/15 06:31
  • カテゴリー:読み物

いつものとおり、物語がはじまるよりまえに、事の結末はすでにきまっていた。はじまったときは、もう手遅れなのだ。

カルロス・ルイス・サフォン著「風の影」(集英社文庫、2006年)から(下巻、p48)。

ほかにも書き留めておきたい箇所は少なくない。特にフェルミン・ロメロ・デ・トーレスが頻りにアフォリズムを口にする。例えば、ばかと悪人はちがう「悪いやつには特定のモラルと、意図と、ある種の思考性が前提にある。ばかな人間、つまり野蛮な人間は、じっくり考えたり、論理的に思考することをしない」、本能だけで行動する動物と同じ。自分はいつも正しいと思っている(上巻、p258)。

フリアン・カラックスの科白からも一つ、「本は鏡と同じだよ。自分の心のなかにあるものは、本を読まなきゃ見えない」(上巻、p357)。

風の影(サイト内)。ヴォルテール著「カンディード」

風の影

  • 2021/05/14 06:40
  • カテゴリー:読み物

キッド・プロ・クオだ。ラテン語だよ、小僧っ子。死語なんてものはない。頭がなまけて眠っているだけだ。

バルセロがダニエルに取引を持ちかける。その本をじっくり見せてくれたら、その「代わり」に、著者について知っていることを教えると。カルロス・ルイス・サフォン著「風の影」木村裕美訳(集英社文庫、2006年)から(上巻、p29)。「忘れられた本の墓場」四部作の第一部、上下巻、ともに4百ページ超、読むのに数日かかった。

「代わり」を意味する「キッド・プロ・クオ」、綴りは quid pro quo だ。かつて、この言葉を冠したソフトウェアを使っていたことがある。

1996年、職場の片隅にあった Macintosh IIci を、メモリーを増設、漢字Talk(OS)を更新した上で、サーバに仕立てた。webサーバのソフトウェアには、ちょうど開発が進められていた、WebCenter を主に使った。作者は、Chris Hawk 氏。

この WebCenter が、その年の秋に、Quid Pro Quo(QPQ)へ名を替えた。商標の問題があったと聞いた。WebCenter の「代わり」というネーミングだったのだろう。そう見せかけておいて、当時デフォルト・スタンダード的存在だった、WebSTAR の代わりになる、が真の意味と思ったもんだ。

そう思わせる程に、実際、QPQ は優秀なサーバだった。が、後に「Macworld Magazine のReviewで酷評されて作者のChrisさんは怒ってしまったらしい」とメモしている、1998年8月、このホームページ(twp)を立ち上げてすぐの頃だ。

20年前は何を?(サイト内)

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