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カテゴリー「読み物」の検索結果は以下のとおりです。

ミレニアム6(下)

  • 2023/01/12 06:19
  • カテゴリー:読み物

新しい何かの始まる時が、確かに来たようだった。

これにてシリーズ完結。ダヴィド・ラーゲルクランツ著「ミレニアム6-死すべき女」ヘレンハルメ美穂・久山葉子訳(早川書房、2019年)下巻から(p279)。

頑張って読み通した。シリーズの第4-6部は、この著者が書いている。第3部までのトーンを踏襲した第4部はまあまあの出来だった。以降については「ラーゲルクランツの個性が少しずつ前面に出てきている」と訳者あとがきで指摘されている。はっきり言って、この第6部に至っては駄作になった。ラーソン著の第3部までで一応完結しているので、そこまでにしておいた方が良い。

引用部分は最後の行から採った。ようやく次の本を始める時が来た。

「ミレニアム」ラーソン(いずれもサイト内)。エミルー・ハリス(p112)

ミレニアム6(上)

  • 2023/01/09 06:19
  • カテゴリー:読み物

意見というのは、歳をとって賢くなったら変えるものだ

マッツ・サビーンなる人物の言葉。ダヴィド・ラーゲルクランツ著「ミレニアム6-死すべき女」ヘレンハルメ美穂・久山葉子訳(早川書房、2019年)上巻から(p161)。

Googleで、ずばりヒットがない場合に、もしかしてこれでは、と類推された検索結果が並ぶことがある。その内の一つに目星を付けて、さらに追いかけて行く。が、まったく見当外れの調査になってしまう。実世界ではよくあることだ。

この小説の中でそれが起こった。マッツ・サビーンはGoogleが提案して来た名前だった。調べを進めたところ、本筋とは全然関係のない人物だと判って来る。かと言って、寄り道したことで、主人公の葛藤が増えるとか、ストーリーが緊迫するとか、そんな新たな要素を著者は用意しない。単に文字数を稼ぐ手段になってしまっている。

この本、つまらないなぁと思い始めた頃にその寄り道にうんざりし、読むスピードは益々上がらない。何とか上巻を読み終えたのだった。

「ミレニアム」(サイト内)。「戦争は減っている」(p182)、「歩きながらミーティングをする」(p201)

革命的半ズボン主義宣言

  • 2023/01/03 06:26
  • カテゴリー:読み物

全体が見渡せないで、気がついたらズーッと自分の前にブラ下がっている"義務"という不思議なものの存在を、疑うことなしに受け入れて、その"義務"と自分とを何かがつないでいる筈だと勝手に思いこんで、その間の欠落を"使命感"というもので埋めるというのは、自分で自分の首を締めてるようなもんです。

使命感なんか発明したから全体像が見渡せる別の地点へ一歩身を引くことができなくなってしまった。橋本治著「革命的半ズボン主義宣言」(冬樹社、1984年)から(p227)。読みたい本リストの底の方にあった。この本のことを何で知ったのか覚えていない。

著者は「私が書いた本の中で一番分りの悪い本である筈」(p264)と書いているし、読む側のこちらの理解度にも問題があって、この本、よくわからん。「夏の暑さに半ズボンを穿かない」をキーワードに、義務、特に男の義務、について縷々考察しているようなのだが。

# 橋本治(1948-2019)

無思想の思想

  • 2022/12/27 06:29
  • カテゴリー:読み物

思想的民族というのが、世界にはふんだんにいます。しかしながら日本人は、それに入っていない。日本人は思想がゼロではないかといわれる。が、私にはどうもそうではなく、無思想という思想が日本人の底の底にあるのではないかと思う。

この部分がNHKの番組(2016年)で引かれているのを見て、いつか読んでみようと思っていた。司馬遼太郎著「手掘り日本史」(毎日新聞社、1976年)。引用はその中の「無思想という思想」から(p165)。

日本人には「原始的なまだ神道ということばすらなかったころのある種の宗教感情」に根差した「美意識」があって、それは、後に、仏教や、儒教、マルキシズムなど様々な思想が入り込んで来ても、変わることなく受け継がれた。

太平洋戦争の頃に皇国主義に毒されてしまった。それは「取り除いたほうがいい」「あの狂躁だけはムダだった」。その主義を残している人は不思議なことに「たいていアメリカと手をにぎりたがる」。

愛蘭土紀行保守と大東亜戦争(いずれもサイト内)。NHKスペシャル「司馬遼太郎思索紀行~この国のかたち」▽香川照之、第1集「島国ニッポンの叡智」、第2集「武士700年の遺産」(NHK総合、2016/2/13,14 21時)

ドーナツ経済学

  • 2022/12/23 06:22
  • カテゴリー:読み物

もし大規模な参加者が経済のネットワークを支配し、小規模や中規模の多様な参加者を追い出せば、そこにできあがるのは、不平等でもろい経済だろう。これはまさに今、わたしたちが目にしている経済そのものだ。

ケイト・ラワース著「ドーナツ経済学が世界を救う-人類と地球のためのパラダイムシフト」(河出書房新社、2018年)から(p201)。ラジオの番組(8/5)で紹介されているのを聞いて読んでみようと思った。

ことは経済に限らない。安全保障など様々な領域で、「大規模な参加者」、これは既得権益を保持しながら強欲でもある、が、その世界のあり方を歪めてしまっている。「大きすぎてつぶせない」その存在にどう立ち向かえば良いのか。これまでの理論はもう通用しない。21世紀の諸問題に対するには、新たな視座、視野、そして視点が必要になる。

日本人というリスクセドラチェク氏のお話暗殺者(いずれもサイト内)。現在主流派の経済学は「古色蒼然」としている(p345)

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