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カテゴリー「読み物」の検索結果は以下のとおりです。

その科学が成功を決める

  • 2021/03/01 06:19
  • カテゴリー:読み物

「あのときああしていれば」手に入ったかもしれないことについて思い悩むのをやめ、いまの状況のいい点を三つ考える。そして、「もしああしていれば」自分に降りかかったかもしれないマイナス点を三つ考える。

分岐点で選択を間違い、今、悪い状況にある。改善する手立てもまったくない。どうやって乗り切れ(割り切れ)ば良いか。引用は、リチャード・ワイズマン著「その科学が成功を決める」(文藝春秋、2010年)から(p222)。「幸福とはほしいものを手に入れることではなく、いまあるものを好きになること」(p225)とも。

性格の基本五要素を判定する質問表(p261)を実際にやってみると、簡易的ながら、これまでに会社の研修などで受けた性格判断や、自覚している性格などと、よく符合する結果となった。人差し指と薬指の長さ比(p267)の話も示唆が得られる。

# 59 Seconds: Think a Little, Change a Lot by Richard Wiseman, 2009

夕刊流星号

  • 2021/02/27 07:06
  • カテゴリー:読み物

いまごろは中学校の教頭か校長になっているにちがいなかった。が、いまさらそれを悔いる気にはならなかった。ただ、自分も戦後の歴史の激流に身を投げ、押し流されたひとりにすぎないはずだ。

あの日、誘いに乗らなければ、新興夕刊紙「新大阪」などの記者になることはなかった。足立巻一著「夕刊流星号-ある新聞の生涯」(新潮社、81年)から(p240)。

昭和31年に「戦後十年あまりを勤めた大阪の小さな夕刊新聞社をやめた。わたしはその新聞社に自分ながらあきれるほどの情熱をこめた」(足立巻一著「石の星座」、編集工房ノア、1983年、p258)。「戦後の数年は、足立巻一の成立にとって重要だった」(司馬遼太郎著「虹の誕生」、このエッセイは、足立巻一著「虹滅記」、朝日文芸文庫、1994年、その巻末に収載されている、p374)。

「夕刊流星号」の記者たちは仮名で描かれている。一つ前に読んだ早瀬圭一著「小谷正一伝説」では実名なので対照することができる。伊坂靖介が、著者足立巻一。瀬田源吉(社長)=瀬戸保太郎、黒沼大治郎(編集局長)=黒崎貞次郎、大木正次(整理部長)=木本正次、後藤田基治(編集総務)=後藤基治、石津経夫(報道部長兼企画部長)=小谷正一、そして「色鉛筆」は、古川益雄。高橋孟はペンネームのまま出ている(p178)。

小谷正一伝説足立巻一(サイト内)。新大阪 (新聞)矢野橋村|Wikipedia

小谷正一伝説

  • 2021/02/25 06:53
  • カテゴリー:読み物

プロデューサーというよりプランナーはどう違うのや。プロデューサーって何をすることや、おまえわかってるのか

早瀬圭一著、無理難題「プロデュース」します-小谷正一伝説(岩波書店、2011年)のエピローグから(p215)。

戦後、毎日新聞の事業部を振り出しに、夕刊紙「新大阪」の発行、プロ野球「毎日オリオンズ」の創立、民間放送「新日本放送(毎日放送)」の発足、テレビの草創期、様々なことに関わったが、それを自身で継続しようとはしなかった。新しいことを追っ掛けた男の物語。

# 小谷正一(1912-92)、古川益雄(1920-91)、坂本スミ子(1936-2021)。「筝曲の宮城だ」。アントレプレナー(entrepreneur)。「僕がおもにやっているのはゼロから1を生み出す、いわば世界観をつくる最初の段階です」、出典:「空想している時間は“脳汁”が出ます」-レイトン、妖怪ウォッチの作者・日野晃博の創造性(2020/12/28)

命売ります

  • 2021/02/23 07:22
  • カテゴリー:読み物

人生が無意味だ、というのはたやすいが、無意味を生きるにはずいぶん強力なエネルギーが要るものだ

三島由紀夫著「命売ります」(ちくま文庫、1998年)から(p170)。単行本1968年刊。

三島由紀夫(1925-1970)没後50年の昨年、また何かミシマでも読んでみるか、とまず最寄り図書館のOPACで検索したのはこの「命売ります」だった。他には、レター教室や、文章読本、肉体の学校、夏子の冒険あたりのマイナーな作品が頭に浮かんだ。代表作とされる例えば「金閣寺」などの諸作に共通する陰気さには辟易としてしまう。未読の「豊饒の海」四部作にもまだ手が伸びない。100円棚にあるのを見掛ける度に買い求めて揃えてはいたけれど東京を離れる時に処分してしまった。これはまたその内に。

三島由紀夫(サイト内検索)。命売ります|Wikipedia。落語「代書」

東京の戦争

  • 2021/02/20 07:22
  • カテゴリー:読み物

釘は使わず、板と板がきっちりと組み合わされ、やがて鉋がきれいにかけられた見事な柩が出来上がった。しかし、長年茶箪笥づくりをしてきた癖で、四隅が丸くけずられていて、優美ではあるものの奇妙な感じであった。

著者の父親が病死したのは終戦後すぐのこと。極端な物不足の折、柩が手に入らない。材料を用意して、近所の家具職人に柩づくりを頼んだのだった。吉村昭著「東京の戦争」(筑摩書房、2001年)から(p64)。不謹慎だとは思いつつも、角が丁寧に面取りされた棺桶を想像して笑ってしまった。

せんそうをよむ(サイト内)

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