言い寄る
- 2019/06/12 23:07
- カテゴリー:読み物
大阪弁というのは元来が、円転滑脱で、親しみやすく、へりくだったいい方で、聞く方の耳をやさしく愛撫してさからわぬものである。ところが、
田辺聖子著「言い寄る」(講談社文庫、2010年、初出1973年)から(p24)。関西弁で語られる小説二冊を図書館で借りた。西加奈子著「円卓」はかなり面白かったが、この「言い寄る」はちょっと微妙な感じ。他にも探してみよう。
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大阪弁というのは元来が、円転滑脱で、親しみやすく、へりくだったいい方で、聞く方の耳をやさしく愛撫してさからわぬものである。ところが、
田辺聖子著「言い寄る」(講談社文庫、2010年、初出1973年)から(p24)。関西弁で語られる小説二冊を図書館で借りた。西加奈子著「円卓」はかなり面白かったが、この「言い寄る」はちょっと微妙な感じ。他にも探してみよう。
人は年をとるにつれて懸命になるかどうか、私には判らないが、ひどい目に遭うことはある程度避けることは覚える。
トマス・ハリス著「羊たちの沈黙」(新潮文庫、89年)から(p186)。原作を初めて読んだ。映画では、レクターが言う "yourself" が、捜査の手がかりになる。その言葉に違う意味があることに主人公クラリスが気付くのだ。この場面がどのように書かれているのか知りたくて原作を読んだのだけれど、ない、どうやら映画での演出だったようだ。
# 窓のない部屋や、病院の廊下、粗末なソファで、「ごく短時間のうちに、人は自分の出方を決め、運命と対決して怯えている時にきちっとやれるよう、頭に叩き込んでおく。」(p226)。
子犬が狼の子と群れているうち、まるで狼のようになってしまった
青木理著「安倍三代」(朝日新聞出版、17年)から(p266)。政界に入った普通の人が周りに染まって右傾化していく、さもありなんと思う。しかし、その普通だった人が、宰相にまで登り詰め、かくも長きに渡って政権の座にある。子犬と評されたイメージとはだいぶギャップがある。ギャップを乗り越えるパワーをいかにして得るに至ったのか、それは、この本を読んでも判らなかった。
学問だ芸術だって高邁ぶることはない。所詮は人間の創造した自己救済の方便の一種じゃないか。
円地文子著「食卓のない家」(新潮文庫、82年、単行本79年刊)から(p193)。この原作を読み、85年に観た映画は、そうそうこういう筋だった、と思い返した。細かいところはすっかり忘れてしまった中で、印象に残っているシーンがある。連行される犯人たち一人一人がカメラに映し出される。ここは、報道フィルムを使いドキュメンタリー風なのだが、残念ながら、中井貴一扮する乙彦のところだけ微妙に色が違い整合していない。待てよ、もしかすると、敢えて、別に撮ったことが判るように配慮したのかもしれない、そう思ったりもする。
# 七ツ下りの雨は晴らない(p184)、立ちて思ひ居てもぞ思ふくれなゐの赤裳垂れ引き去にし姿を(p435、万葉集巻11-2550)
虎の縞は洗っても落ちない
奥田英朗著「オリンピックの身代金」(角川書店、08年)から(p435)。連休中に放送された番組、ラジ放談「平成から令和へ」(TBSラジオ、5/5 20時)の中で、小説家・塩田武士氏がこの本を紹介していた。これを「2020年の東京オリンピックの前に読み返して欲しいんです」と。