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カテゴリー「読み物」の検索結果は以下のとおりです。

坂の上の雲 (1)

  • 2020/05/05 06:55
  • カテゴリー:読み物

世間というのは迷信の着物をきてやっと寒気をしのいでいるのだ。真理とか本当のことというのは寒いものなのだ

正岡子規がそう言う(p164)。司馬遼太郎著「坂の上の雲 (1)」(文春文庫、99年、新装版)から。長い休みの間にこの長編小説を読もうと、全8冊の内、前半4冊を借りておいた。

1890(明治23)年9月、台風に遭ったトルコ軍艦が紀州沖で沈没する。艦長以下581人が犠牲になったこの惨事について本書は触れている。生存者69人をトルコ本国へ送り届けたのが、秋山真之が乗る「比叡」など軍艦二隻だったのだ(p335)。真之は、この時、海軍兵学校を出たばかりの少尉候補生。トルコ行きが初の遠洋航海となった。

その海難事故のことは何年か前に映画で知った。「海難1890」(東映、15年)というタイトル。上海浦東から戻る飛行機の中で観た。東京上海間のフライトでは、どうかすると映画一本見終わらないけれど、その時は余裕で観ることができた。搭乗したものの離陸時間が大幅に遅れたのだ。結局、そのまま2時間待たされた。中国からの帰国便では、そうやって待たされることを一度ならず経験した。日本機にしばしば提供される特別サービスと聞いたことがある。ま、ゆっくりしていきなさいよ、というわけだ(笑)。

2016/10/24 17:05 PVG-NRT NH960 B787-8 JA874A

# 主人公はこの時代の小さな日本(p7)、エルトゥールル号遭難事件 - Wikipedia、テヘラン日本大使館の扁額「我逢人」

笊ノ目万兵衛門外へ

  • 2020/05/01 07:02
  • カテゴリー:読み物

「雪の日やあれも人の子樽拾い」誰もが知るこの句の作者は、吉宗時代の老中で磐城平五万石の大名、安藤対馬守信友である。

山田風太郎著「笊ノ目万兵衛門外へ」は、そんな風に始まる。あれと思った。対馬守(つしまのかみ)信友の藩は、磐城平だったろうか。いつだったか、備中松山城を訪ねた際、その藩で起きたお家騒動の顛末を案内板か何かで読んだ。騒ぎの後に転封して来たのが、確か、安藤氏だった。信友の名もあった。その句の作者と紹介されていて、あ、その人かと思ったことを覚えている。なお、そのお家騒動を収めたのは赤穂藩の家老、大石内蔵助だった。あの大石だ。

安藤信友の藩について調べてみた。備中松山藩へ移って来たのは、安藤重信系(対馬守系安藤家)三代の重博。その長男が信友で、やはり、備中松山6.5万石の家督を継いでいる。のちに同家は、美濃加納藩を経て、六代信成の時代に磐城平藩へ移った。その後は、この小説に登場する十代信正を含めて、ずっと同藩にあった。その時代が長いからだろうか、対馬守系の安藤と言えば、藩は磐城平となるのかもしれない。石高は、磐城平藩へ移った際、引用のように5万石に減封となったが、それは一時のことで、信成の代の内に6.7万石へ加増されている。

# 「笊ノ目万兵衛門外へ」初出72年、時代小説の楽しみ第9巻「維新の群像」(新潮社、91年)、「おれは不知火」(河出文庫、93年)、三河安藤氏重信系 - Wikipedia、城めぐり(12年10月)松江城-備中松山城-丸亀城-高松城

もっと言ってはいけない

  • 2020/04/29 07:00
  • カテゴリー:読み物

社会的・文化的な強い淘汰圧によって10~20世代(250~500年程度)で遺伝的な偏りが起こりうる

遺伝と文化の共進化論。人種(大陸系統)によって知能に差があることは、これで説明がつく。橘玲著「もっと言ってはいけない」(新潮新書、19年)から(p147)。日本人を含む東アジア系がIQが高いのは、隋初から実施された科挙による知識社会と、稲作による豊富で安定した食糧事情が背景にあると推論。農耕社会の閉鎖的な共同体を営む中で、互いに忖度し合えるよう、脳内セレトニン発現量が低くなるよう進化して来た可能性がある。

行動遺伝学(p4)、わかりやすい善悪二元論(p36)、S・J・グールド「人間の測りまちがい」(p63)、J・J・ヘックマン「幼児教育の経済学」(p78)、差別の根源にある知能重視社会(p92)、各国別IQ一覧(図表7、p137-9)、連作障害のない水田(p153)、東欧系ユダヤ人アシュケナージの祖先はハザール人か(p167)、リベラルなネオフィリアと保守のネオフォビア(p174)、J・M・ダイヤモンド「銃・病原菌・鉄」(p179)、日本に華僑財閥がない理由(p188)、ヒトの自己家畜化(p206)、正義は娯楽の一つ(p210)、人類の三つの革命、石器、農耕、科学とテクノロジー(p240)

言ってはいけない朝日ぎらい(いずれもサイト内)

殺人容疑

  • 2020/04/27 07:08
  • カテゴリー:読み物

検事は、被告人の顔をよく見るようにと、あなた方に言いました。被告人は日系アメリカ人で、その顔にあなた方が敵を見るだろうと推測したからなのです。

さらに弁護士は、これは偏見についての裁判なのだ、と喝破する。デイヴィッド・グターソン著「殺人容疑」(講談社文庫、96年)から(p583)。二度目の今回、以前とだいぶ違った印象を持った。最初は97年だった。その頃、海外ミステリーに割と興味があり、そんな一冊として読んだ。他に覚えているタイトルは、例えば、ラブゼイの「最後の刑事」や、ダニングの「死の蔵書」など。それらもまた読んでみるのもいいかもしれない。

なぜ、殺人容疑という無粋な題になったのだろうか。原題は "Snow Falling on Cedars"、後に映画された際の邦題は「ヒマラヤ杉に降る雪」(米、99年)。そういえば、Macintosh上で"CeDar"というフリーソフトを使っていたことがあった。あの名前は、杉の木と何か関係があったのだろうか。

# ロナルド・タカキ著「別の岸辺から来た余所者」、アケミ・キクムラ著「厳しい冬に耐えて」、モニカ・ソネ著「二世の娘」、Nisei Daughterに見るモデル・マイノリティの描かれ方-アメリカの人種差別構造に関する一考察、結社(p173)、FreemasonryOdd FellowsThe Grange (Farmers' movement)6人にひとり! アメリカの政治・社会に影響力を持つ「ドイツ系住民」という“隠れた多数派”川上三郎名誉教授|徳島大学

山陰土産

  • 2020/04/24 06:39
  • カテゴリー:読み物

青空文庫で色々見ている際、島崎藤村のリストの中に「山陰土産」というタイトルがあるのに気付いた。ぴんと来るものがあった。いかにも紀行文っぽいこれには、おそらく、あのことが書かれているのだろうと。あれは、大学に入って最初の夏休みのことだ。オケの先輩たちに連れられて、鳥取県の浦富海岸へ遊びに行った。その折に見かけた案内板に、かつて、ここを島崎藤村が訪ねた、とあったのだ。果たして、「山陰土産」のファイルを開けてみると、浦富海岸の節があった。藤村が、次男鶏二とともにこの地を訪ねたと記している。それは昭和2(1927)年7月。おれが案内板を見たのは、それから54年後のことだった。

浦富海岸には、あれ以来、何度か遊びに行った。鳥取市で開かれた学会に参加したついでに訪ねたこともある。行く度、専ら、熊井浜で過ごした。羽尾坂トンネルの手前で車を降りて脇道を上る。峰を越えて少し行くと見えて来る。こじんまりした砂浜に、両側の岩場がすぐそこに迫る。その様子から、クロワッサンの窪みの中に入り込んだような気分になったものだ。またあの浜辺を訪ねることはあるだろうか。

作家別作品リスト:島崎藤村|青空文庫沢田廉三 - Wikipedia、ハマボウフウ、スナビキソウ、クロマツ、トベラ、タイトゴメ

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