エントリー

カテゴリー「読み物」の検索結果は以下のとおりです。

夏目漱石先生の追憶

  • 2020/06/03 06:55
  • カテゴリー:読み物

ずいぶん熱心に句作をし、一週に二三度も先生の家へ通ったものである。そのころはもう白川畔の家は引き払って内坪井に移っていた。立田山麓の自分の下宿からはずいぶん遠かったのを、まるで恋人にでも会いに行くような心持ちで通ったものである。

漱石との出会いを記した、寺田寅彦の随筆を読んだことがある。タイトルに、確か、夏目漱石の文字が入っている。青空文庫で確認した、「夏目漱石先生の追憶」だ。強く印象に残っている、まるで恋人云々の箇所を抜き書きした。

引用部分にある、立田山麓の下宿から内坪井の漱石宅まではGoogleマップで2キロ半ほど。現在なら徒歩で半時間。明治の当時であれば、どのくらいの時間がかかったんだろうか。

「夢十夜」第六夜(サイト内)、寺田寅彦「夏目漱石先生の追憶」|青空文庫寺田寅彦 - Wikipedia

「夢十夜」第六夜

  • 2020/06/02 07:12
  • カテゴリー:読み物

自分は積んである薪を片っ端から彫って見たが、どれもこれも仁王を蔵しているのはなかった。ついに明治の木にはとうてい仁王は埋っていないものだと悟った。それで運慶が今日まで生きている理由もほぼ解った。

この第六夜の最後が何を意味するか、あらためて、考えてみた。ここまでの話はこうだ。主人公(自分)は、仁王像を刻んでいる運慶を見物に行く。見事な出来栄えに、よく思うように眉や鼻が刻めるもんだと呟くと、作るんじゃなくて木の中に埋まっているのを掘り出しているだけだ、と近くにいた若い男に言われる。それなら誰にでも出来るとばかり、実際に自分でもやってみる。

若い男が言うことをその言葉通りに受け取ったことが間違いだった。本当は木の中に仏像が埋まっているわけではなく、あたかも土の中の石を掘り出すかのように、それ程までに運慶の腕前が達している、と彼は言ったまでのことだったのだ。仁王像は、芸術性や真理を象徴する物だろう。誰でも掘れば見付けられる安易なものではなく、才能がある者のみが見出すことができる。運慶の昔から「今日まで生きている」不変の道理だ。主人公はそのことに気付いた。

「ほぼ解った」と終わる。なぜ、ほぼ、なのか。漱石は自身が芸術家や科学者ではないので彼らに対する気遣いがあったろう。その遠慮が、作者漱石の投影である主人公にほぼと言わせたのかもしれない。弟子の一人、物理学者の寺田寅彦に、君はどう思うかねと訊ねる姿が目に浮かぶようだ。

蜜蜂と遠雷(サイト内)、夏目漱石「夢十夜」|青空文庫

化学式で書いてみた

  • 2020/05/31 07:17
  • カテゴリー:読み物

水の沸点はもちろん100℃であり、エタノールは78℃です。これら2つの分子は、大きさのわりに高い沸点をもちます。その理由は、水もエタノールも「水素結合」を形成しているためです。

そうだったそうだった水素結合。山口悟著「身のまわりのありとあらゆるものを化学式で書いてみた」(ベレ出版、20年)から(p195)。感染症騒ぎの前に予約しておいた本、ようやく順番が回って来た。残念ながら期待外れ。

参考文献のリストが、中学校・高校の参考書から始まっている。その年代向けだろうか。ニンニクのアリシン、セッケン、PET、リチウム電池、石油の分留、窒素固定など、幅広く雑多な話題が採られている。

独ソ戦

  • 2020/05/29 06:41
  • カテゴリー:読み物

日露戦争で、日本軍よりもずっと優勢な大軍を擁しながらも敗北した経験が、ロシアの軍人たちに深刻な思索をうながしたのだ。

その思索は、1930年代に「作戦術」として結実する。戦略と戦術の間に「作戦」という次元があり、戦争遂行に重要な意味を持つ。当時のその新しい軍事理論を、ロシアは20世紀初頭から鋭意検討した。独ソ戦での勝因は、圧倒的な人的・物的資源と、この「作戦術」の優位によるものだった。引用は、大木毅著「独ソ戦-絶滅戦争の惨禍」(岩波新書、19年)から(p150)。

日露戦争を戦った一方の日本はどうだったか。「寡をもって衆をやぶる」桶狭間式奇襲で日露戦争に勝った。陸軍の首脳は、その固定観念から抜け出せず、第二次大戦で陸軍が崩壊するまでそのスタイルに終始した。司馬遼太郎著「坂の上の雲 (4)」(文春文庫、99年、新装版)から(p256)。

# 桶狭間の戦い(1560年)、日露戦争(1904-05年)、ロシア革命(1917年)、ノモンハン事件(1939年)、独ソ戦(東部戦線、1941-45年)、クレフェルト「補給戦」、敵の重心(Schwerpunkt)を叩く、通常戦争・収奪戦争・世界観戦争(絶滅戦争)、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」

散り椿

  • 2020/05/24 06:50
  • カテゴリー:読み物

商いと申しますのは、ひとの欲によって成り立っております。欲があればこそ、売り買いが続けられるのです。それがなければ、この世は立ち行きません

葉室麟著「散り椿」(角川文庫、14年)から(p145)。お話はもう一つか。あれやこれや事件が起こる感じがして目まぐるしい。

螢草峠しぐれ蜩ノ記(いずれもサイト内)

ユーティリティ

« 2024年05月 »

- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -

検索

エントリー検索フォーム
キーワード

新着エントリー

小林稔侍▽私の人生手帖
2024/05/06 06:10
憲法施行77年
2024/05/05 05:48
Re3: たそがれ清兵衛
2024/05/04 06:18
終わらない戦争
2024/05/03 05:45
北部の山沿いって、どこ
2024/05/02 06:05
ホームベーカリー
2024/05/01 06:01
衆院3補選で自民全敗
2024/04/30 05:57
Re: 二重小協奏曲ヘ長調
2024/04/29 06:00
社会不安高めるSNS悪用
2024/04/28 05:57
走り梅雨、2024年
2024/04/27 06:05

Feed