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カテゴリー「読み物」の検索結果は以下のとおりです。

琉球山原船水運の展開

  • 2018/06/06 07:48
  • カテゴリー:読み物

共同店は一九〇六年の国頭村奥部落に最初に出現した。

近世近代沖縄の海運や造船についてぱらぱらと見ているときにこの記載に行き当たった。沖縄で、特に石垣島などでよくお世話になる共同売店が、一番最初にできた地が奥であることは知っていた。その共同売店が、なぜ船の話に関係するのだろうか、意外だった。引用は、池野茂著「琉球山原船水運の展開」(ロマン書房本店、94年)から(p64)。

かつて陸の孤島だった奥集落にとって海運は必然だった。集落の人たちは、集めた薪木を那覇市場に運び、帰路、日用雑貨を持って帰った。そのために、山原船(やんばるせん)というタイプの帆船を共有していた。この一連のビジネスを構築、運営したのが共同売店だった。

沖縄県の高山

  • 2018/06/06 07:02
  • カテゴリー:読み物

少し山の話になった折、沖縄には高い山はないので、海を楽しんだら、と M さんは言った。ご自身はどうやらダイバーらしいのだが、シュノーケリングがいいよと。

たまたま、牧志の図書館で「日本百低山」(幻冬舎、17年)という本を見かけた。沖縄から二つの山が紹介されている。石垣島にある県最高峰の於茂登岳(526m)、それと沖縄本島で最も高い与那覇岳(503m)。県の高山二つが低山ガイドに載っている。確かに高い山はない。

四千万歩の男

  • 2018/06/03 08:12
  • カテゴリー:読み物

忠敬は、17歳で伊能家の婿となった。

伊能家は佐原でも古い家柄の田地侍で、かたわら酒を醸造し、さらに商業も営んでいた。加えて忠敬の代になってから米穀の売買に手を染め、江戸の深川に薪炭問屋を出し、金貸しもはじめるというふうに商売の間口はさらにひろがり

日本歴史文学館22、井上ひさし著「四千万歩の男」<蝦夷篇>上(講談社、86年)から(p11)。忠敬は、ビジネスの才覚を示した。前出「伊能忠敬を歩いた」によると(p198)、現在価値換算で、入り婿時の資産3-4億円を、隠居時には40-45億円にまで殖やしたらしい。

伊能忠敬を歩いた

  • 2018/06/03 08:02
  • カテゴリー:読み物

50歳過ぎの後半生に、測量家、地理学者として名を成した伊能忠敬。彼は、どのような前半生を送ったのだろうか。まずは結婚前、

修身の教科書で忠敬が取り上げられた際に、後半生の成功を強調するために前半生の苦労を増幅して伝えたのではないか(略)。普通のこども以上の教育、すなわち読み、書き、ソロバンを習得できたことははっきりしている

地方の名家で生まれ、育ち、高い水準の教育を受けたようだ。引用は、佐藤嘉尚著「伊能忠敬を歩いた」(新潮文庫、01年)から(p88)。

首里城への坂道

  • 2018/06/02 22:20
  • カテゴリー:読み物

首里に十字路や見通せるような真っ直ぐな道がないのは、「魔物」を通りぬけさせないためだ

と、古老の言葉を紹介している。与那原恵著「首里城への坂道 - 鎌倉芳太郎と近代沖縄の群像」(筑摩書房、13年)から(p5)。古都首里に限ったことではなく、那覇でそのような小路は、例えば、旧崇元寺の丘側エリアや、壺屋から牧志にかけて、などにも残っている。

副題が、この本の中身をよく表している。琉球文化のフィールドワーカー、鎌倉芳太郎、「彼以上に、琉球と対話し、観察し、記録した人間はいない。沖縄本島各地、宮古・八重山・奄美の島々をくまなく歩き、琉球のすべてをとらえようとした彼がテーマとしたのは、芸術、文化、歴史、民俗、宗教、言語など、幅広いことも、ほかに例をみない。」

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