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カテゴリー「読み物」の検索結果は以下のとおりです。

Re: 組織戦略の考え方

  • 2021/07/20 06:22
  • カテゴリー:読み物

社内で新規事業開発の企画を正当化するのに、事業内容の検討に六割、社内正当化プロセスに四割の時間を必要とするというのは明らかに病気であろう。社内から出てくる批判の対処に四割も時間をとられていては仕事が遅くなり、また実質的な内容の吟味が浅くなる。

大雑把に言って「三割以上」で、かなり深刻な病状。沼上幹著「組織戦略の考え方」(ちくま新書、2003年)、第10章「組織腐敗の診断と処方」から(p206)。一年前に欲求階層説のところ(第4章)を拾い読み。今回、人にすすめた手前、また借りて来て、全体にざっと目を通した。

フリーライダーの件(第5章)は、例示されている労組の話が、今一つ、適切でないように思った。上手く換骨奪胎して、実地への応用を図りたい。

多くの章は、雑誌「プレジデント」で連載されたエッセイだったことが、あとがきでふれられている。それは一度、伊丹敬之ら著、一橋大学ビジネススクール「知的武装講座」(プレジデント社、2002年)に、「三人の先輩方」のエッセイとともに、まとめて収められた。通して読むと、沼上氏担当部分がちょっと毛色が違うように感じたものだ。そこで使われていた図も印象に残っている。

組織戦略の考え方(サイト内)

マイナス・ゼロ

  • 2021/07/16 06:32
  • カテゴリー:読み物

中河原伝蔵は、予備役の陸軍歩兵一等兵だったのである。最近、よそで召集令が来たという話はぜんぜん聞かない。おととし、満州で事変が起こったときは、東京からも出征兵士がだいぶ出たそうだが、その後、事変のほうもある程度落ちつき、現役の兵隊だけで間に合っているのだろう。それなのに、中河原伝蔵にとつぜん召集令が来たのは、彼が共産党員だということで、懲罰の意味なのに違いない。

これから「地下にもぐる」共産党員の戸籍を買いその人物に成り済ましたところが、えらい目に遭う。広瀬正著「マイナス・ゼロ」(河出書房新社、1977年、広瀬正小説全集1)から(p193)。

歩兵第一五旅團司令部からの令状。召集部隊は歩兵第三〇聯隊、到着地は新潟県高田市。応召は、昭和8年(1933年)4月。「二年ぐらいだと思ってたのに、あっちこっちいかされて」(p201)、「最初はホーペイ、それからシャントン、チャンスー」、そして1942年フィリピンに転属、45年米軍の捕虜に、その時の階級は「兵長」(p219)だった。復員したのは、昭和23年(1948年)1月のこと。

この本を読むのは何度目だろうか。これまでさらっと読み流していた部分が、ずいぶん印象が違う。ここ一年ほど、1930年代や50年戦争に関する本をいくつか読んだからだろうか。

# 河北、山東、江蘇。台児荘の戦い(山東省最南部、1938年3-4月)

日露戦争の世界史

  • 2021/07/14 06:31
  • カテゴリー:読み物

日露戦後の日本の優先課題は、先ずこのような報復と圧力を回避することであった。日本としては韓国の《保護》を《併合》にするためにもこれは必ず解決しなければならない緊急の課題だった。このことは、列強は常に満州と韓半島を同じ枠のなかで考えていたということでもある。

露による「報復」であり、満州の門戸開放を要求する英米による「圧力」だった。それこそ既成事実あるいは時間の問題とされた韓国併合までに、日露戦争(1904-05年)後、5年もの年月を要した理由はこれだった。引用は、崔文衡著「日露戦争の世界史」朴菖煕訳(藤原書店、2004年)から(p261)。原著韓国版タイトルの直訳は「国際関係史から見た日露戦争と日本の韓国併合」。

米国の「フィリピン占領政策と中国門戸開放政策とは表裏一体」であった(p48)。1898年から翌年にかけてこれら政策が成立する。この辺りが「アメリカ世界戦略の出発点」と見れば良いだろうか。同時期にハワイ併合も済ませている。

訳者が、あとがきで、「日露戦争の目的の核心といえる日本の朝鮮併合」はまともに研究されておらず、司馬遼太郎「坂の上の雲」でさえ、「韓国(朝鮮)問題は出ていない」と指摘している(p408)。まともに研究されているかどうかは判らないけれど、少なくとも「坂の上の雲」には出ていたように思う。

坂の上の雲 (3)(サイト内)

刑罰

  • 2021/07/10 06:33
  • カテゴリー:読み物

新しい人生を歩みだせば楽になれると、私は思っていた。だが楽になど決してなれなかった。結局おなじなのだ。薬剤師であろうと、家具職人であろうと、作家であろうと。それぞれの決まりごとはすこし違うものだが、疎外感は残り続ける。そして孤独感やさまざまな思いも。

キャリアの切り替えなのか、区切りなのか、ここにもそれを考えている人がいる。フェルディナント・フォン・シーラッハ著「刑罰」酒寄進一訳(東京創元社、2019年)、それに所収の短篇「友人」の終わりの部分から(p213)。

シーラッハ八本目の槍オールドメディア上等(サイト内)

八本目の槍

  • 2021/07/09 06:25
  • カテゴリー:読み物

こちらに来ないかと誘ったことがある。槍働きでの出世はここらが限界、新たな知識や技術を付けねば大名への道は開けない。

キャリアには、いつかどこかで切り替えが必要だ、と人は言う。引用は、今村翔吾著「八本目の槍」(新潮社、2019年)、第6章「六本槍 権平は笑っているか」から(p316)。

賤ヶ岳の七本槍|Wikipedia

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