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カテゴリー「読み物」の検索結果は以下のとおりです。

文庫100冊

  • 2021/08/07 06:28
  • カテゴリー:読み物

どんなに理不尽でも、ひとたび死地に入ったかれらはどう戦い、どう死に、どう生きたのか。わたしはかれらに敬意を払う。戦記物を読むのは、「死」ということが、年老いたわたしの人生の先行きにぼんやりと見えてきたことと無関係ではないような気もする。やがて来るわたし自身の死を、かれらの死によって相対化したがっているような気がする。

勢古浩爾著「定年後に読みたい文庫100冊」(草思社文庫、2015年)から(p185)。著者の本を読むのは初めての事。KechiKechi Classicsで著者の名を知り読んでみる気になった。

文庫本百冊、作家百人が紹介されている。馴染みのある作家を数えてみると、31人にも上った。この手のガイドと自分の好みが3割もの高率で重なることは珍しい。ここまで一致すると、他の知らない7割も期待が持てる。もしかすると鉱脈を掘り当てたかもしれない。

# 銀バエ(p56)、俺は俺は(p100)、必読書などない(p413)、村上春樹というブランド名(p430)、千日回峰行(p518)。音楽日誌|KechiKechi Classics

浦島太郎伝説とは

  • 2021/08/05 06:30
  • カテゴリー:読み物

獄内の発掘によって外耳土器とともに鉄滓と石炭が発見された、という。

石垣島にも浦島太郎に似た話が伝わる。その聖所、崎原獄(さきはらおん)が発掘調査されたのは1971年のこと。引用は、高橋大輔著「浦島太郎はどこへ行ったのか」(新潮社、2005年)から(p207)。「フィクションとノンフィクションが重なり合う接点を求める旅」、今回は浦島太郎伝説の旅。

皆が知るこの伝説は、どんな実話が基になったのだろうか。話の主要素は、海難救助(カメの救済)、報恩(竜宮城での接待)、禁断の贈物(玉手箱)、そして、災禍(急激な老化=死)。これに上で引用した部分から想起されることを組み入れて一連の物語を思い描いてみた、

日本がまだ倭と呼ばれていた頃の丹後地方。太郎は、嵐で難破し浜辺に漂着した異国の漁民を手厚く介抱し、傷が癒えた後、母国へ送り届ける。先方では命の恩人とばかりに歓待を受け、帰国する際に、たっぷりの土産物を持たされる。それには鉄の農具や、その鍛冶の手法も含まれていた。別れ際に約束させられる。鍛冶で作るのは農具だけ、決して、刀や矢尻を作らないと。しかし約束は反故にされる。殺傷力抜群の武器が、その製法とともに、たちまち、国中に拡散して行く。これを手にした人びとは、凄惨な戦を繰り広げるようになってしまうのだった。

実際のところは、そうなのかどうなのか判らないけれど、何にせよ、時の為政者にとって不都合な事実が、ぼやかされて伝えられているような気がする。伝説や神話とは大体がそのようなものなのだろうから。

高橋大輔(サイト内)。唐や宋の古い建物はほとんど残っていない(p103)、478年の謎(p229)。浦島太郎はなぜあんなに有名?実は深い話が…。(2021/3/5)。温羅(うら)|Wikipedia

Re: 文明の生態史観

  • 2021/08/03 06:31
  • カテゴリー:読み物

せいぜい文化論で、文明という言葉をつかうと、学術書ではないという雰囲気がありました。しかし、それが今日、一九八三年に比較文明学会という学術団体もできていますし、文明を無視して世界を語ることがむずかしくなってきました。

梅棹忠夫著「文明の生態史観」(1967年)の意義の一つ、日本における文明学の先駆。川勝平太氏が著者との対談でそう語る。梅棹忠夫編著「文明の生態史観はいま」(中央公論新社、2001年)、第3章 対談「文明の生態史観」の今日的意義から(p64)。

特集「二十世紀図書館」(文藝春秋、1998年8月号)に、後世にのこすべき本を識者に訊ねたアンケートの集計が出ているとか。1) 司馬遼太郎「坂の上の雲」、2) 西田幾多郎「善の研究」、3) 夏目漱石「吾輩は猫である」、4) 梅棹忠夫「文明の生態史観」・・・

文明の生態史観(サイト内)、ethnocentrism(自民族中心主義、p12)

文明の生態史観

  • 2021/07/28 06:31
  • カテゴリー:読み物

日本はかならずしも西欧化を目ざしていたのではない。いまでもそうではない。日本には日本の課題があった。ただ、西ヨーロッパ諸国と日本とは、いろんな点でたいへん条件が似ていたために、平行的な道をあゆんでしまったとみるのである。その途中で、どちらに由来する要素がよりおおいかという系譜論は、じつはあまりたいした問題ではないようにおもう。

梅棹忠夫著「文明の生態史観」(中公文庫、1974年)、表題作から(p90)。論文の初出は1957年、単行本は1967年刊。著者独特の、ひらがなが多い文章。

旧世界の両端、西ヨーロッパと日本は、「いちじるしい共通点をもっている」。封建体制があった。革命によってブルジョアが支配権を握る。帝国主義をやった。資本主義国である。二次大戦後はいっせいに落ち目。それが基になった学説に欧米の人たちがどう反応したか。少なくとも、極東の島国とは一緒くたにされたくないと、当時、強く思ったに違いない。今でもそうだろうと思う。

次の本へ(サイト内)

次の本へ

  • 2021/07/26 06:30
  • カテゴリー:読み物

お二人の現実認識は大きく異なっている。なぜこのようなことが起こったのかについてのお二人の説明はさらに大きく異なっている。現実は一つしかなく、その正しい認識も一つであるという常識は本当に正しいのだろうか。

林原の倒産について、社長と財務担当専務が各々本を書く。同じ会社の経営に携わり、きわめて近くにいた二人なのに、「二冊の本を読むと『現実は一つ』という常識が変わる」(加護野忠男著)。苦楽堂編「次の本へ」(苦楽堂、2014年)から(p120)。

# カバーや本文中の装画は、青山大介「海文堂書店絵図1914-2013」とある。「文明の生態史観」から「坂の上の雲」へ(彼らは友人同士だった、江坂彰著)

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