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カテゴリー「読み物」の検索結果は以下のとおりです。

昭和史裁判

  • 2021/03/08 06:36
  • カテゴリー:読み物

相手をそこに追い込まない形で政治的に、ほんとうのことを言わせるという技術を持つ、政治家や軍人がいて欲しかった。それが明治、大正期にはいた。昭和前期にもいた。けれどもう、このときにはいないのです。

1941(昭和16)年9月5日、近衛文麿首相が天皇へ帝国国策遂行要領の内奏(事前報告)を行う。陪席した、杉山元参謀総長と永野修身軍令部総長、陸海軍の両総長は、「ほんとうのこと」つまり英米戦は無理とは言わない。翌6日、御前会議の場で、その遂行要領が決定され、対英米戦準備を進めることになってしまう。半藤一利、加藤陽子著「昭和史裁判」(文藝春秋、2011年)から(p343)。

# 西園寺公望(1849-1940)、牧野伸顕(1861-1949、内大臣在位1925-35)。帝国国策遂行要領|Wikipedia

応仁の乱

  • 2021/03/06 06:39
  • カテゴリー:読み物

応仁の乱は第一次世界大戦と似た構図を持つのではないか、と思い至った。

呉座勇一著「応仁の乱-戦国時代を生んだ大乱」(中公新書、2016年)から(p284)。15世紀の大乱と20世紀の世界大戦、どのような点が似ているのか。

第一次世界大戦(1914-18)。新興の帝国ドイツが、覇権国家イギリスを中心とする国際秩序に挑戦した戦争だった。サラエボ事件に端を発し、オーストリアをドイツが支援、セルビアを英仏露の列強が支持。参加国皆が、短期決戦を志向したが、長期化し総力戦の様相を呈する世界大戦へ拡大した。結局、イギリス海軍の海上封鎖によって補給路を断たれたドイツが降伏。勝者の英仏でさえ甚だしく疲弊、終戦後は、欧州全体の没落を招いた。それを尻目に、資本主義経済の中心が米国に移り、社会主義国家ソ連が成立する。

本書のお題、応仁の乱(1467-77)は、新興勢力の山名氏が、覇権勢力細川氏を中心とした幕府秩序に挑戦した戦争だった。畠山の家督争いである御霊合戦に端を発し、山名宗全が畠山義就を支援し軍事介入、細川勝元は同盟者の畠山政長を応援。東西両軍ともに短期決戦を志向したが、戦は長期化し総力戦の様相を呈した。結局、東軍に補給路を断たれた西軍が屈服。東軍側も損耗激しく、戦後は、結束の堅さを誇った細川でさえ一族で諍いを繰り返すようになる。参戦諸将の没落を尻目に、いわゆる戦国大名が台頭して来る。

新興勢力が秩序に挑戦するようなことが、また繰り返されるのだろうか。

# 経覚(1395-1473)、尋尊(1430-1508)。米国務長官 中国は「国際秩序に重大な挑戦をする力持つ」(3/4)

明治維新とは何だったのか

  • 2021/03/04 06:52
  • カテゴリー:読み物

薩摩の西郷や大久保、あるいは長州の木戸孝允といった人たちは、開国というこれからの国策は理解したものの、この際やっぱり関ヶ原の恨みは晴らさないといけない、と考えた。せっかく徳川幕府が弱っているのだから

御一新は薩長による「暴力革命」だった。半藤一利、出口治明著「明治維新とは何だったのか-世界史から考える」(祥伝社、2018年)から(p70)。薩英戦争や馬関戦争の敗戦で、薩長は、攘夷は到底無理と思い知る。一方、幕府は列強へ賠償金を払うはめになり疲弊する。250年前の恨みを忘れてはいない薩長、尊皇攘夷を本音の倒幕へと切り替えていく。

ペリーの目的は「太平洋航路の開拓」だった。▽開国、富国強兵の「グランドデザイン」を描いたのは、老中首座の安部正弘。それを実現したのは大久保利通。▽軍国主義の下地「統帥権の独立」は、西南戦争(1877年)を起源として山県有朋が発案した。▽維新三傑を継いだ「かなり程度がおちる」二人、山県有朋と伊藤博文は、革命を正当化するために中国の古典から「維新」の言葉を探し出し、自身の権威づけに「大した人物ではない」吉田松陰の名を利用した。

# 安部正弘(1819-1857)、西郷隆盛(1827-1877)、大久保利通(1830-1878)、木戸孝允(1833-1877)、山県有朋(1838-1922)、伊藤博文(1841-1909)

その科学が成功を決める

  • 2021/03/01 06:19
  • カテゴリー:読み物

「あのときああしていれば」手に入ったかもしれないことについて思い悩むのをやめ、いまの状況のいい点を三つ考える。そして、「もしああしていれば」自分に降りかかったかもしれないマイナス点を三つ考える。

分岐点で選択を間違い、今、悪い状況にある。改善する手立てもまったくない。どうやって乗り切れ(割り切れ)ば良いか。引用は、リチャード・ワイズマン著「その科学が成功を決める」(文藝春秋、2010年)から(p222)。「幸福とはほしいものを手に入れることではなく、いまあるものを好きになること」(p225)とも。

性格の基本五要素を判定する質問表(p261)を実際にやってみると、簡易的ながら、これまでに会社の研修などで受けた性格判断や、自覚している性格などと、よく符合する結果となった。人差し指と薬指の長さ比(p267)の話も示唆が得られる。

# 59 Seconds: Think a Little, Change a Lot by Richard Wiseman, 2009

夕刊流星号

  • 2021/02/27 07:06
  • カテゴリー:読み物

いまごろは中学校の教頭か校長になっているにちがいなかった。が、いまさらそれを悔いる気にはならなかった。ただ、自分も戦後の歴史の激流に身を投げ、押し流されたひとりにすぎないはずだ。

あの日、誘いに乗らなければ、新興夕刊紙「新大阪」などの記者になることはなかった。足立巻一著「夕刊流星号-ある新聞の生涯」(新潮社、81年)から(p240)。

昭和31年に「戦後十年あまりを勤めた大阪の小さな夕刊新聞社をやめた。わたしはその新聞社に自分ながらあきれるほどの情熱をこめた」(足立巻一著「石の星座」、編集工房ノア、1983年、p258)。「戦後の数年は、足立巻一の成立にとって重要だった」(司馬遼太郎著「虹の誕生」、このエッセイは、足立巻一著「虹滅記」、朝日文芸文庫、1994年、その巻末に収載されている、p374)。

「夕刊流星号」の記者たちは仮名で描かれている。一つ前に読んだ早瀬圭一著「小谷正一伝説」では実名なので対照することができる。伊坂靖介が、著者足立巻一。瀬田源吉(社長)=瀬戸保太郎、黒沼大治郎(編集局長)=黒崎貞次郎、大木正次(整理部長)=木本正次、後藤田基治(編集総務)=後藤基治、石津経夫(報道部長兼企画部長)=小谷正一、そして「色鉛筆」は、古川益雄。高橋孟はペンネームのまま出ている(p178)。

小谷正一伝説足立巻一(サイト内)。新大阪 (新聞)矢野橋村|Wikipedia

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