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カテゴリー「読み物」の検索結果は以下のとおりです。

R・クルーソーを探して

  • 2020/12/17 07:10
  • カテゴリー:読み物

自分は一体全体、何をやっているのだろう? 太平洋の小さな島のとある丘の斜面で、四つん這いになりながらもがいていることが、とても滑稽なことにすら思われてくる。もしくは地球の裏側まで来て、何の変哲もないシダの海に乗り出し、絡み合った茎に足を取られて転倒することがとても馬鹿げているようにすら思える。

島を踏査中に腐った木の根を踏み抜いて山から転げ落ちる。そんな時にふと我にかえる。立ち止まって考えてしまう。髙橋大輔著「ロビンソン・クルーソーを探して」(新潮社、99年)から(p119)。R・クルーソーの漂流記にはモデルになった実話があったんだな。知らなかった。

著者の新刊がHONZで紹介されているの見て興味を持ち、処女作の本書を読んでみた。書き手としてはもちろん、実践者としても力がある方のようだ。関連情報を洗い出し、決め打ちせず選択肢を並べ、そして、自分でやってみる、倦まず弛まず怠らずに。

# 第46回青少年読書感想文全国コンクール課題図書(2000年度、高校)。『剱岳-線の記』古代日本のファーストクライマーを探せ!

ベトナム戦記

  • 2020/12/13 07:02
  • カテゴリー:読み物

最前線はどこですか、どこですかとたずねて何度も説教された。"最前線"の"現地"へ迷いこんでからも戦争はどこにあるのですか、最前線はどこですかと聞いて、そのたびにたしなめられた。それがわかってるくらいなら苦労はしないよというのだ。

国の全土が最前線。開高健全集第11巻(新潮社、92年)に収載の「ベトナム戦記」(初出65年)から(p105)。沢木耕太郎、角幡唯介両氏の対談の中で引き合いに出される三つのノンフィクション、それは、「極限の民族」、「さもなくば喪服を」、そしてこの「ベトナム戦記」だった。

サイゴンの特産品「テロ、デモ、デマ、クー(デター)の四つであった」(p11)。ベトナム語の「チョーヨーイ」(p34、ニチェヴォ、没法子、やれやれ)。

旅人の表現術(サイト内)。チャーチル(Winston Churchill、1874-1965)

砂の上の黒い太陽

  • 2020/12/11 06:20
  • カテゴリー:読み物

君は闘牛士を知らん。闘牛士の心理をだ。闘牛士という人種は、どんな時でも引退の時を夢見ている男たちなんだ。

エル・コルドベスのマネジャー、パキート・ルイスがそう言う。ただし、何かを追い求めているときは活動を止めない、「あの年は私たちに大目標があった」。林栄美子編「砂の上の黒い太陽-闘牛アンソロジー」(人文書院、96年)の佐伯泰英著「闘牛士エル・コルドベス一九六九年の叛乱」(抄)から(p219)。

タイトルにある69年の叛乱、それは闘牛の興行を独占するトラストとの対立だった。スターとなった闘牛士は、移動式の簡易闘牛場でスペイン全土を巡業して回る。ところが翌70年に和解。そして「大目標」に向かって再始動する。65年に打ち立てた、年間出場111闘牛の史上最高記録を更新することを目指したのだ。「さもなくば喪服を」その後のエル・コルドベスを描く。

さもなくば喪服を(サイト内)

さもなくば喪服を

  • 2020/12/10 07:11
  • カテゴリー:読み物

闘牛士を売り出すのは、粉石鹸を売り出すのと同じだ。粉石鹸にもいろいろあるように、闘牛士にもいろいろある。うまく売り出せるのは、つねにいい製品とはかぎらない。プロモーターがどうすればよく売れるかを知っている場合なのだ。

辣腕マネージャー、エル・ピポの言葉。彼の目に留まったのは、ある青年の死に物狂いの勇気だった。D・ラピエール、L・コリンズ著「さもなくば喪服を-天才闘牛士エル・コルドベス」(ハヤカワ文庫、81年)から(p391)。仏語原書67年刊。沢木耕太郎、角幡唯介両氏の対談でこの本のことが語られる。

Google で検索するとこういう説明が出る、「マヌエル・ベニテス、またの名をエル・コルドベス(コルドバの男)。 1960年代のスペインで、総統フランシスコ・フランコと並び有名であり、スペインの国民的な英雄と言われた男。 衰退しつつあった闘牛に新しい風を吹き込み、国家的な催しにまで盛り上げた革命的な闘牛士。2016/02/18

旅人の表現術(サイト内)

百年前の山を旅する

  • 2020/12/02 06:37
  • カテゴリー:読み物

今、われわれは奥多摩駅から青梅まで歩くという発想そのものがない。鉄道が延び、車道ができ、昔の道がなくなってしまったため、われわれに歩くという選択肢そのものがなくなってしまったのだ。発想がなければ行為はなく、行為がなければそれにともなう感情もない。

服部文祥著「百年前の山を旅する」(東京新聞出版部、10年)から(p97)。著者自身による「サバイバル登山」の紀行文をいくつか集めた一冊。古道や廃れてしまったルートを、当時の装備や食料を携えて歩きそして登る。例えば、ウェストンらが初登攀(1912年)した奥穂高岳南壁ルート。島々から徳本峠を越えて上高地へ入り、岳沢をつめて南稜から奥穂高岳へ登る。

第4話の「鯖街道を一昼夜で駆け抜ける」では、「京は遠ても十八里」の小浜街道いわゆる鯖街道を歩いて、実際にサバを京都まで運ぶ試みを行っている。福井県小浜の魚市場でサバを買う。これが若狭で獲れたのではなく、宮城県金華山沖から回って来たものだった。日本産ならまだしも、今や、街角で売っているのり弁当や定食屋の焼き魚定食などそれらのサバやアジのほとんどは、随分遠くからやって来る。サバならば、例えば、ノルウェーで水揚げされ、タイで加工された後に日本に運ばれる。現代の鯖街道は、三千里にも及ぶ(8.6千キロと4.3千キロ、計1.29万キロ)。

旅人の表現術(サイト内)。ウォルター・ウェストン|Wikipedia。石丸謙二郎の山カフェ「山びとの生き方~服部文祥さん」(NHKラジオ第一、11/21 8:05-)

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