4月のある晴れた朝に
- 2019/04/22 07:15
- カテゴリー:読み物
きっとそこには平和な時代の古い機械のような温かい秘密が充ちているに違いない
村上春樹全作品 1979-1989 (5) 短篇集 II(講談社、91年)に収載されいる「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」(81年)から(p26)。先日読んだ「1Q84」は、この短編から派生した作品、と wiki にあったので借りて来て読んでみた。著者は、「その短編をただ長くしただけです」と語ったとか。
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きっとそこには平和な時代の古い機械のような温かい秘密が充ちているに違いない
村上春樹全作品 1979-1989 (5) 短篇集 II(講談社、91年)に収載されいる「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」(81年)から(p26)。先日読んだ「1Q84」は、この短編から派生した作品、と wiki にあったので借りて来て読んでみた。著者は、「その短編をただ長くしただけです」と語ったとか。
ほんまにようゴタゴタに巻き込まれまんな。体質でっか?
東野圭吾著「浪花少年探偵団」(講談社文庫、91年)から(p138)。大阪弁の会話を楽しむことができる。「夫婦善哉」のようだ。
#前線の影響で雨。走り梅雨だ。
面白くはあるし、ずいぶんうまく書かれている。文章は読みやすく端正であり、部分的には心を惹かれもする。しかし結局のところ罪のないただの幻想小説ではないか、彼はそう思った。またそれは世間の一般的な感想でもあるはずだった。
彼とは牛河のこと。作中登場する小説「空気さなぎ」の評だ。この部分を読んだとき、もしかするとこれは著者によって張られた予防線ではないだろうか、と感じた。それは、もちろん、「1Q84」全3巻への酷評をかわすための予防線だ。村上春樹著「1Q84 a novel BOOK 3 10月-12月」(新潮社、10年)から(p314)。
この第3巻を読み進めている内に、昔よく読んだ A.J.クィネルの著作を思い出していた。例えば、「ヴァチカンからの暗殺者」。そのうち、また読んでみよう。
# 滑りが悪い記憶の抽斗(p25)、希望と試練(p49)、トルストイ風に快楽と苦痛(p497)
何か重要なものを創り上げるには、あるいは何か重要なものを見つけ出すには、時間がかかりますし、お金がかかります。もちろん時間とお金をかければ立派なことが成し遂げられるというものじゃありません。しかしどちらも、あって邪魔になりません。とくに時間の総量は限られています。
村上春樹著「1Q84 a novel BOOK 2 7月-9月」(新潮社、09年)から(p44)。
著者の諸作は、脈絡なく様々なジャンルの作品を抱え込んでいる美術館さながらだ。この第2巻もどこかの街の近代美術館を思わせる。抽象に、印象派、グラフィックアートが並んでいる、写実や宗教画もある。観る側は、ときに、困惑や、混乱、疲弊と闘いながら這うように順路を進む。照明がひときわ明るい場所に出る。出口だ。ほっと胸をなでおろす。土産物コーナーを覗いてみると、さっき観て来た作品が絵ハガキになって売られている。一枚一枚手に取って、心に引っかかっているものは何だろうかと反芻してみよう。それは、意外なことに、抽象画だったりする。
# 新聞とは(p116)、空白を埋める(p181)、狭く小さなものと外圧(p194)、宗教の成立(p234)
当時の研究者は、たんぱく質を丸ごと質量分析にかけることは初めからあきらめて、何とかして計測できるような大きさに分解することばかり考えていた。
偉大な研究者とその他大勢では、やはり目の付け所が違っていたんだな。高橋繁行著「日本の歴代ノーベル賞」(アスキー新書、09年)、2002年化学賞「田中耕一」から(p158)。