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カテゴリー「読み物」の検索結果は以下のとおりです。

良い戦略、悪い戦略

  • 2022/04/07 06:21
  • カテゴリー:読み物

リストを作ることは、認識能力の限界を乗り越える手段と言える。リストがあれば忘れてしまうことを防げるし、リストを作る過程で、抱えている問題の相対的な緊急度や重要度を天秤にかけることができる。そして「いまやるべきこと」が明確になれば、問題解決に向けた行動を起こせるはずだ。

買い物リストとは根本的に違う。リチャード・P・ルメルト著「良い戦略、悪い戦略」村井章子訳(日本経済新聞出版社、2012年)の第3部「ストラテジストの思考法」第17章「戦略思考のテクニック」から(p345)。

引用部分と呼応して示唆を与えてくれる箇所を抜き書きしておこう。有能なストラテジストがやっていることは決定でなく設計であり、選択肢の中から選ぶのではなく自らデザインしている(p176)。戦略の核は状況の診断、診断で明らかになった課題に取り組む基本方針、基本方針に基づく一貫した行動である(p110)。戦略を立てるときには、「何をするか」と同じくらい「何をしないか」が重要なのである(p34)。

IKEAの戦略が紹介されている(p166)。先日(3/15)それに触れた折は孫引きだったので原典の本書を借りて来て読んだ。かなり良い本だと思う。

天国でまた会おう(サイト内)。NVIDIA(p296)。Ivy Lee Method

検証戦争責任

  • 2022/04/05 06:25
  • カテゴリー:読み物

私は大隈内閣の「対支二十一か条要求」が日本の近代史の中の一番大きな過ちだと思う。中国の反日ナショナリズムと米国の世界戦略が手を握ることになったからだ。

これには大いに納得させられた。「私」は、評論家・作家の故松本健一。読売新聞戦争責任検証委員会著「検証戦争責任」(中公文庫、2009年)に収載のインタビュー記事から(上巻p60)。本書の帯に「だれが、いつ、どのように誤ったのか」とある。大隈内閣のその要求が答えの一つだろう。

日本とアメリカは、日露戦争(1904-05)、米西戦争(1898)にそれぞれ勝利し、遅ればせながら帝国主義的覇権争いに名乗りを上げた。両国は、当時列強が陣取り合戦をしていた中国に目を向ける、欧州勢に追い着こうと鼻息荒く。

第一次世界大戦(1914-18)の最中、日本が中国の袁世凱政権に対して21か条の利権拡大要求を突き付ける(1915)。これが米国の門戸開放政策とぶつかる。米国は、既に仮想敵国としていた日本を、はっきりと敵視するようになる。日本が満蒙での権益の延長、拡大を図るにつれ、日米間の対立が激化して行く。

本書「検証戦争責任」は、少し後の満州事変(1931)以降を対象として、昭和20(1945)年の敗戦に至る責任は誰にあるのかを「検証」する。要するに犯人捜しだ。「東条元首相に最大の責任」(下巻p257)など、一人ひとり問責する。それはそれで好奇心をくすぐられ興味深くはある。が、

誰がやっても同じことだったのでは、とも思う。つまり、図に乗ったら容赦しない、ボコボコにしてやる、こっちには鉄も石油もあるんだから、と米国が思い始めたのが21か条の要求の頃だとするなら、その後の30年、日本の国を誰がリードしたにせよ、似たような惨状を招いた可能性がある。なにせ日本は、官も、軍も、民も、メディアも、益々図に乗って行くわけだから。違う形の「検証」があってもいいかもしれない。

引用部分を読んでそんなことを考えた。満州事変よりもっと遡る方が昭和の戦争について理解が深まるような気がする。松本健一を読んでみようと思う。

渡辺恒雄 戦争と政治日露戦争の世界史(サイト内)。松本健一|Wikipedia

奴隷のしつけ方

  • 2022/04/04 06:31
  • カテゴリー:読み物

奴隷制は古代ローマの全時代を通して社会の基盤でした。あまりにも当然のものだったので、そんなものはいらないという人はいませんでした。残念ながら、奴隷たち自身がどう思っていたかは記録に残されていません。当時の人々にとってそれはどうでもいいことだったからです。一方、主人であるローマ人が奴隷のことをどう考えていたかについてはかなりのことがわかっています。

本題に入る前にそうあるように(p4)、本書は(架空の)主人側からの視点で語られる。マルクス・シドニウス・ファルクス著「奴隷のしつけ方」ジェリー・トナー解説(著者)、橘明美訳(太田出版、2015年)。訳者名でOPAC検索して読んでみようと思った。

後の世で、とんでもない、と思われるような制度や慣習は、現代社会にもあるだろう。時代が替われば、「当然のもの」は変わる。同時代でさえ、場所や、文化、立場によって、当たり前が違うことがままある。

その女アレックス(サイト内)。"How to Manage your Slaves"

名君の碑

  • 2022/04/02 06:24
  • カテゴリー:読み物

食べたあんずの種は、土に埋めればまたあんずの木へと育つかも知れない。政事というのは、この種を埋めるようなことなのです。

正之は、家臣保科正近からそう教えられたことを思い出す。中村彰彦著「名君の碑-保科正之の生涯」(文藝春秋、1998年)から(p186、398)。その場面の前後、正之と正近のやり取りは感動的でさえある。

帯に「真の指導者とは。混迷の世におくる清冽な物語」と記されている。リードする立場にある人たちにとって得るところが多い書だろう。

最終章で、寛文8(1668)年に成った「会津藩家訓」十五か条が紹介される(p617)。この中に「士を選ぶを本(もと)とすべし」とある。ここまで読んで来れば、これは納得の一条だ。何十年に及ぶ執政での実感だったろう。と言うか、このマネージメントの本質に気付いたことが、正之をして名君たらしめたのかもしれない。

文庫100冊(サイト内)。仁政(p401)、大国を治むるは小魚を煮るがごとし、誰をバスに乗せるのか(コリンズら「ビジョナリー・カンパニー2、飛躍の法則」)

60年前の地図

  • 2022/03/31 06:28
  • カテゴリー:読み物

元ソ連の共和国に共通して出てくる問題が、現在のウクライナに集約されている。背景にはソ連時代の民族政策がある。

関眞興編著「くらべて楽しむ地図帳-60年前と現在の世界地図」(山川出版社、2021年)から(p78)。最寄り図書館の新着コーナーにあった。

「ウクライナとベラルーシ」の項で、その民族政策の一端を知ることができる(p81)。ウクライナは、ロシア革命後の国内権力闘争を経て、1922年にソ連に加盟。しかし、ウクライナ人の民族意識が高く、スターリンに睨まれる。クリミア半島に住むタタール人らが中央アジアに追いやられそこはロシア人の入植地とされる。スターリンの死後、フルシチョフは懐柔策を採り、1954年にクリミア半島をウクライナへ割譲。1991年ソ連の崩壊とともにウクライナは独立するが、西部は親西欧、東部は親ロの傾向が明らか。その対立が深まる中、2014年にクリミア半島をロシアに占拠される。さらに東部の二地域が独立を宣言。ロシアが裏面で工作している。

幼い頃から地図を見るのが好きで、家にあった地図帳をよく眺めていた。本書に掲載されている60年前の地図と似たような版図だったろう。ソ連やユーゴスラビアがあり、アイルランドはエールだったしバングラデシュは東パキスタンだった。南アフリカの独立国はまだまだ少なかった。

伯母がこんなことを言ったことがある。幼稚園児やったあんたに、おばちゃん、アフガニスタンの首都知ってるか、と訊ねられたんよ、と。変なガキだったのだ。長じて大学入試を受ける時には、共通一次で地理Bを選んだ。高校では地理Aだったので地理Bを学んではないけれど、園児の頃からの蓄積を活かして多少なりとも点数を稼いだのだった。

ロシア軍ウクライナ侵攻ウクライナ大統領演説(いずれもサイト内)

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