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カテゴリー「読み物」の検索結果は以下のとおりです。

坂の上の雲 (4)

  • 2020/05/21 06:42
  • カテゴリー:読み物

「黒木の軍団は三個師団ほどだというが、それはうそだ。あと三個師団はもっている」と、クロパトキンは、判断するようになった(略)。実情は黒木は裏も表もなく三個師団の一枚看板だけでやっている。

日本兵の猛攻は凄まじい損耗を伴っていた。そんなことできるのは予備兵力が豊富にあるから、と欧州の軍事専門家なら判断する。それが常識だ。しかし何のことはない、兵力不足の日本は、損耗覚悟で短期決戦をやらざるを得ない状況にあった。司馬遼太郎著「坂の上の雲 (4)」(文春文庫、99年、新装版)から(p133)。常識が思い込みになってしまうと誤解を産み、それが、その後の心象風景を支配してしまうことがある。

# 下瀬火薬(p80)、ユダヤ人ヤコブ・シフ(p168)、明石元二郎(p175)、民は倚らしむべし(p181)、桶狭間式奇襲(p256)、落語「蒟蒻問答」「花筏」

坂の上の雲 (3)

  • 2020/05/18 07:05
  • カテゴリー:読み物

日本は、朝鮮半島を防衛上のクッションとして考えているだけでなく、李王朝の朝鮮国を、できれば市場にしたいとおもっていた。

日露戦争(1904-05年)の原因は一つはそこにある。明治維新から30余年、工業力はまだまだ幼稚で売るものもないのに、欧州列強のまねをしようとした。アジアの一等国を目指して。司馬遼太郎著「坂の上の雲 (3)」(文春文庫、99年、新装版)から(p67)。この巻の最初の章で子規逝く。

あれから百年経った今の世界はどうか。ちょっと力のある国は、依然、同じようなことをやっているのではないだろうか。列強や、植民地、占領ではなく、経済大国や、同盟、協定とか、表現は穏当になってはいるけれど。

# 坂の上の雲 (1) (2)(いずれもサイト内)、Great power - Wikipedia、朱子学の合理主義(p197)

坂の上の雲 (2)

  • 2020/05/12 06:36
  • カテゴリー:読み物

美に一定の基準なしとおもうとるぞな。美の基準は、各個人の感情のなかにあり、同一人物でも時が経つと基準がかわる。

正岡子規がそう言う(p321)。司馬遼太郎著「坂の上の雲 (2)」(文春文庫、99年、新装版)から。子規の死そしてロシアとの戦いが近付いて来ている。

坂の上の雲 (1)(サイト内)、統帥権という毒物の薬効と毒性(p61)、文化文明の模範として尊んできたシナ(p164)、アルフレッド・セイヤー・マハン(p233)、大津事件(p348)、ナショナリズムのない民族への軽侮(p379)

坂の上の雲 (1)

  • 2020/05/05 06:55
  • カテゴリー:読み物

世間というのは迷信の着物をきてやっと寒気をしのいでいるのだ。真理とか本当のことというのは寒いものなのだ

正岡子規がそう言う(p164)。司馬遼太郎著「坂の上の雲 (1)」(文春文庫、99年、新装版)から。長い休みの間にこの長編小説を読もうと、全8冊の内、前半4冊を借りておいた。

1890(明治23)年9月、台風に遭ったトルコ軍艦が紀州沖で沈没する。艦長以下581人が犠牲になったこの惨事について本書は触れている。生存者69人をトルコ本国へ送り届けたのが、秋山真之が乗る「比叡」など軍艦二隻だったのだ(p335)。真之は、この時、海軍兵学校を出たばかりの少尉候補生。トルコ行きが初の遠洋航海となった。

その海難事故のことは何年か前に映画で知った。「海難1890」(東映、15年)というタイトル。上海浦東から戻る飛行機の中で観た。東京上海間のフライトでは、どうかすると映画一本見終わらないけれど、その時は余裕で観ることができた。搭乗したものの離陸時間が大幅に遅れたのだ。結局、そのまま2時間待たされた。中国からの帰国便では、そうやって待たされることを一度ならず経験した。日本機にしばしば提供される特別サービスと聞いたことがある。ま、ゆっくりしていきなさいよ、というわけだ(笑)。

2016/10/24 17:05 PVG-NRT NH960 B787-8 JA874A

# 主人公はこの時代の小さな日本(p7)、エルトゥールル号遭難事件 - Wikipedia、テヘラン日本大使館の扁額「我逢人」

笊ノ目万兵衛門外へ

  • 2020/05/01 07:02
  • カテゴリー:読み物

「雪の日やあれも人の子樽拾い」誰もが知るこの句の作者は、吉宗時代の老中で磐城平五万石の大名、安藤対馬守信友である。

山田風太郎著「笊ノ目万兵衛門外へ」は、そんな風に始まる。あれと思った。対馬守(つしまのかみ)信友の藩は、磐城平だったろうか。いつだったか、備中松山城を訪ねた際、その藩で起きたお家騒動の顛末を案内板か何かで読んだ。騒ぎの後に転封して来たのが、確か、安藤氏だった。信友の名もあった。その句の作者と紹介されていて、あ、その人かと思ったことを覚えている。なお、そのお家騒動を収めたのは赤穂藩の家老、大石内蔵助だった。あの大石だ。

安藤信友の藩について調べてみた。備中松山藩へ移って来たのは、安藤重信系(対馬守系安藤家)三代の重博。その長男が信友で、やはり、備中松山6.5万石の家督を継いでいる。のちに同家は、美濃加納藩を経て、六代信成の時代に磐城平藩へ移った。その後は、この小説に登場する十代信正を含めて、ずっと同藩にあった。その時代が長いからだろうか、対馬守系の安藤と言えば、藩は磐城平となるのかもしれない。石高は、磐城平藩へ移った際、引用のように5万石に減封となったが、それは一時のことで、信成の代の内に6.7万石へ加増されている。

# 「笊ノ目万兵衛門外へ」初出72年、時代小説の楽しみ第9巻「維新の群像」(新潮社、91年)、「おれは不知火」(河出文庫、93年)、三河安藤氏重信系 - Wikipedia、城めぐり(12年10月)松江城-備中松山城-丸亀城-高松城

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