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カテゴリー「読み物」の検索結果は以下のとおりです。

極限の民族

  • 2020/11/30 06:38
  • カテゴリー:読み物

この非プライバシー文化も、キリスト教文化のおかげで、その頂点はすでに滅びてしまった。キリスト教・仏教・儒教というのは、愉快で天真爛漫なことが嫌いな宗教である。

小見出し「配偶者交換」の節はそう終わる。本多勝一著「極限の民族」(朝日新聞社、67年)の第一部「カナダ・エスキモー」から(p76)。元は、朝日新聞での連載。これにより「注目され」たとWikipediaにある。沢木耕太郎、角幡唯介両氏の対談を読みこの本のことを知った。

最寄り図書館で借りた本、奥付に「昭和45年5月25日第8刷発行」とある。次のページは白紙、その真ん中に「一九七〇年八月二六日水」と万年筆で縦に書かれている。寄贈者の手によるものだろうか。

旅人の表現術(サイト内)。本多勝一|Wikipedia

失敗の本質

  • 2020/11/27 07:02
  • カテゴリー:読み物

日本軍の下士官兵は頑強で勇敢であり、青年将校は狂信的な頑強さで戦うが、高級将校は無能である

ノモンハンで日本軍を圧倒した、ソ連第一集団軍のジューコフ司令官がそう評価した。野中郁次郎ら著「失敗の本質-日本軍の組織論的研究」(中公文庫、91年)から(p68)。最寄り図書館では郷土コーナーにこの本はある。第一章の事例研究で沖縄戦も題材になっているからだ。

1941(昭和16)年からの大戦と、それまでの諸戦とは繋がりのない別物、ずっとそう思って来た。自分の中に断絶があった。日露に始まる、日本における20世紀の戦争は、一連の大きな流れとして捉え直すべきではないだろうか、あくまでも自分にとってそうすべきという意味だけれど、ここしばらく、そんな風に思っている。

静かなノモンハン独ソ戦ビジネス書十選(いずれもサイト内)

戦死ヤアワレ

  • 2020/11/24 06:43
  • カテゴリー:読み物

ところが、そのときわたしたちは澱粉を糖分にかえることに熱中していたのだ。

著者が二度目の応召で給養係にいたことは知らなかった。部隊は、鹿児島にあって、米軍との本土決戦に備え、演習を行い陣地を掘っていた。引用にある「そのとき」とは昭和20年4月のこと。大戦は大詰め。欧州ではムッソリーニが銃殺され、ヒトラーが地下壕で自殺した。太平洋の米軍は、沖縄へ上陸し、九州への侵攻は時間の問題だった。足立巻一著「戦死ヤアワレ-無名兵士の記録」(新潮社、82年)から(p123)。

著者の評伝三部作以外も読んでみようと、まずこの一冊を借りて来た。著者が二度応召した際の従軍記。戦後長らく経ってから、かつて部隊が駐屯した鹿児島の地を再訪する話もある(第8、9章)。さらに、最終章は、「骨のうたう」という詩を残した一兵士の挿話。その詩の一節が本書のタイトルになっている。

演習中の事故で負傷した著者が、鉄道で湯治に通う。その際に使う宮ケ浜駅(p87)、それは聞き覚えのある駅名だ。一度、出張で出かけて行った養殖場の最寄りが、確かその駅だった。地図で確かめた、やはりそうだ。JR指宿枕崎線の宮ケ浜駅。当時こんなことを書いている、鹿児島の「空港から指宿方面行きのバスに乗った。客はおれ一人。貸し切り状態、90分、2350円。途中、豪雨。現地に到着すると、雨は上がったが、猛暑」。バスの終着、指宿駅前で先方と落ち合い、養殖場へは車で移動した。宮ケ浜駅には立ち寄っていない。東シナ海を北上していった台風の影響がまだ少し残る、2015年7月のことだった。

# 対戦車肉迫攻撃(p12)、「忍耐は苦い、しかしその実は甘い」ルソー(p182)。宮ケ浜駅平成27年台風第9号|Wikipedia

お茶漬の味

  • 2020/11/21 06:59
  • カテゴリー:読み物

機械の目的は、自己保存と、自己の合理的改造なのだ。即ち、彼等は無限に自己を再生産しつつ改良して行く。それは結局、機械が自己の『進歩』を目的にしたということにほかならない。

出発点は、人間が、機械の点検修理を面倒臭がり、機械用に自己点検修理装置を作ったことだった。これにより機械は、自己ないし種族の保存本能に目覚めていく。引用は、小松左京著「地には平和を」(新風舎文庫、2003年)に収載の「お茶漬の味」(初出1963年)から(p411)。宇宙船が長い長い旅から地球へ戻ってみると、そこは電子頭脳に征服された惑星になっていた。半世紀前にこんな小説が書かれていたとは、ちょっと驚いた。

# 発掘!ラジオアーカイブス(NHKラジオ第1、11/7 13時台)▽SFラジオドラマ2時間SP〈1〉小松左京原作「お茶漬けの味」1980年(昭和55年)1月

経営戦略論の源流

  • 2020/11/17 06:30
  • カテゴリー:読み物

一般的な認識として、セルズニック(Philip Selznick)の研究は重要な理論的根拠を提供し、ハンフリー(Albert Humphrey)が率いるスタンフォード研究所(SRI)は具体的な概念を生み出した。そして、1960年代にこの手法を世間に拡げた最大の功労者はハーバード・ビジネス・スクール(HBS)教授のアンドリュース(Kenneth R. Andrews)らである。

SWOT分析の起源がそう説明されている。喬晋建著「経営戦略論の源流」(中央経済社、20年)から(p26)。県立図書館の新着コーナーにあるのを借りて来た。

経営環境を分析する際に使う手法その多くは提唱者や出典が明確になっているが、SWOTに限ってはよく判らないようだ。かつて受けた何かの講義の中でそんな解説があった。使い方さえ知っていればそれで良いことであって、提唱者が誰であろうと構わないのだけれど、少し気になっていた。

フレームワーク十選(サイト内)

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