アルキメデスは手を汚さない
- 2019/07/02 06:50
- カテゴリー:読み物
平凡な捨て方が、最も難物であった。
ここはよく覚えている、凶器を処分することになったらこうすれば良いのだなと。幸いそんな事態とは無縁に過ごして来たが。小峰元著「アルキメデスは手を汚さない」(講談社文庫、74年)から(p181)。この本を読むのは三回目。最初は文庫本が発行されてすぐの頃たぶん75年、次は96年、そして今回。だいたい20年置きだ。もう一度、70代になって読むことになるだろうか。
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平凡な捨て方が、最も難物であった。
ここはよく覚えている、凶器を処分することになったらこうすれば良いのだなと。幸いそんな事態とは無縁に過ごして来たが。小峰元著「アルキメデスは手を汚さない」(講談社文庫、74年)から(p181)。この本を読むのは三回目。最初は文庫本が発行されてすぐの頃たぶん75年、次は96年、そして今回。だいたい20年置きだ。もう一度、70代になって読むことになるだろうか。
先日、「日めくり万葉集」に触れた。全240回の出演者や、選ばれた歌が一つのファイルになって手元に残っている。それを表計算に取り込んでソートしてみた。
5回以上出演している選者の方は、順不同、敬称略で、リービ英雄、奥村彪生、岡井隆、吉岡幸雄、絹谷幸二、小泉武夫、小島ゆかり、中西進、田辺聖子、馬場あき子、里中満智子、林望。4回には、ドナルド・キーン氏の名もある。
選ばれた歌に目を向けて、数多く登場する詠み手を拾ってみよう。大伴家持(31回)と柿本人麻呂(20回、柿本人麻呂歌集よりを含む)は順当として、第3位に着けているのは、山上憶良(14回)。次は、大伴旅人(7回)。そして、6回に、額田王、山部赤人、高市黒人の名が並ぶ。なお、複数回選ばれた歌が17首ある。ほとんどは二回止まりの中で、唯一、三回登場するのは、新古今集にも採られたあの歌だ(山部赤人、巻3・318)。
田子の浦ゆうち出でて見ればま白にそ富士の高嶺に雪は降りける
# 田辺聖子さん死去(サイト内)、日めくり万葉集 - Wikipedia
大仏の頭の上の屋根を支えているのは、鉄骨製のトラスで、しかもその鉄骨はイギリス製です。
東大寺の大仏殿は、明治40年代の大修理で、そのように大胆な補強がなされたのだとか。南大門の貫にも鉄骨が入れられたらしい。坂本功著「木造建築を見直す」(岩波新書、00年)から(p43)。ことの良し悪しは判らない。ただ思うのは、当時、関係者の中には強硬な守旧派がいたろうに、よくまあこの構法で工事できたもんだと。
# 沖縄の梅雨が明けたと気象台が発表(6/29)。那覇では、おとといから降ってないので、気分的には既に27日には明けていた。
「憲法十七条」と「五箇条の誓文」の第一条は、文言こそ違えど、内容は同じなのだ。五箇条の御誓文が公布されたのは1868年、憲法十七条は604年。この間約千二百年間、いや「五箇条の誓文」から百五十年が経った現在も、日本人が和を重視する話し合い絶対(至上)主義者であるということは変わっていない。
なるほど。確かに、我々は、話せば判り合える、とか、契約書があっても契約は契約、などと、どこか深いところで思っていたりするもんな。それで、異文化交流の際、彼我の違いに驚いたり、痛い目に遭ったりする(ことがある)。引用は、井沢元彦著「日本史真髄」(小学館新書、18年)から(p86)。歴史学と言うよりは、民俗学や文化人類学の範疇なのだろうか、著者が自説を学術誌などに発表しているのかどうかは知らないけれど。
どっちかっていえば、弱いやつも強いやつにいじめられないで、両方とものんびり生きていける社会が好きだ。そういう社会が嫌いなやつもいるが、俺としては、そういうやつにはちょっと我慢してもらいたい。みんながちょっとずつ我慢する。暴力的なやつには暴力をふるうのを我慢してもらう。権力のあるやつには権力の無理おしを我慢してもらう。
主人公の父親が社会秩序について語るくだり。樋口有介著「ぼくと、ぼくらの夏」(文春文庫、07年、新装版)から(p141)。最寄り図書館の書棚を眺めていて目に留まったので借りて来た。かつて読んだことがある、91年、まだ学生気分が抜け切らない頃だ。再読してみると、今のおれの年齢に比較的近い、親の世代の言動や行動が気になる。当然と言えば当然か。例えば、小峰元著「アルキメデスは手を汚さない」などを今読むとどんな風に感じるだろうか。