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カテゴリー「読み物」の検索結果は以下のとおりです。

隠蔽捜査

  • 2022/01/17 06:28
  • カテゴリー:読み物

何もするなという指示は、ありがたいようで実はそうではない。本当に何もせずにいると、いざ指示が出たときに対処できないのだ。それなりの準備を整えておかねばならない。

緊急の(かつ重要な)仕事に振り回される、それを避けるための心得。今野敏著「隠蔽捜査」(新潮文庫、2008年)から(p249)。読み終えてすぐにシリーズ次作を予約した。

K氏に宛てたメールの中でこんなことを書いた。「最近読んだ中では、池井戸潤著「空飛ぶタイヤ」と今野敏著「隠蔽捜査」、この2冊はとても楽しめました。両方とも不祥事が描かれます。旧財閥系自動車メーカー、警察官僚の世界、舞台はまったく違うのですが、共通点があります。双方とも、東大出身者が牛耳る組織重視の集団という点です。特に「空飛ぶタイヤ」の中で語られる組織のバカさ加減は的確です。モデルは「組織」の三菱。大いに笑いました。

空飛ぶタイヤ文庫100冊今野敏(いずれもサイト内)

ピークとは何か

  • 2022/01/14 06:32
  • カテゴリー:読み物

ピーク時に当該本人がはたしてそれと意識できるものなのか、どうか。すなわちそれと認識し対象化することはすこぶる難しいことなのではないか。それこそあとになって、振り返って改めて気づくことでこそあれ、ピークの渦中にあってそれと思い及ぶことは困難なのではあるまいか。

野呂邦暢は42歳で他界した。芥川龍之介や、梶井基次郎、中島敦らは三十台で夭折。皆ピーク時に病で斃れた。深谷考著「野呂邦暢、風土のヴィジョン」(青弓社、2018年)に収載の「ピークとは何か」から(p114)。

作曲家の吉松隆氏による分析では、著名な作曲家の多くは、26-29歳の頃に最初の傑作を書き、ほぼその十年後の35-45歳頃に代表作となるような力作を生むピークを迎えている。あの天才モーツアルトの場合、29歳で「フィガロの結婚」やハイドンセットを世に出し、死の年、35歳で、レクイエムを書いた。

当時それを読んで自分のことを考えた。大きな成果と言えるものを実行したのは、果たして何歳のときだったろうかと。「あのクロスライセンス契約をまとめたのは、34歳のときだった。そして、海外二社との大部な契約を行ったのは、48歳のとき」。そんなことを書いている(2013年12月)。音楽や文学の大家たちと比べるのはおこがましいけれど、自分にもピークらしきものがあったのかもしれない。還暦の今年、あらためて思い返してみよう。

野呂邦暢中島敦(いずれもサイト内)。吉松隆著「モーツァルトがもう少し長生きしたら、もっと傑作を残しただろうか?」(河出書房新社、2013年、KAWADE夢ムック文藝別冊モーツァルト、p103)

ラジオの戦争責任

  • 2022/01/12 06:26
  • カテゴリー:読み物

あるマスメディアが急速に普及するとき、社会に急激な変化をもたらすことがある。ラジオと太平洋戦争の関係から得られる教訓は、「新しいメディアは未知の混乱をもたらす」という事実である。

坂本慎一著「ラジオの戦争責任」(PHP新書、2008年)の終章から(p249)。ここの小見出しは「未来への教訓」。一つ前は「何が太平洋戦争の本質なのか」。この本は、最寄り図書館のOPACで「戦争責任」を検索して引っかかった。

著者は、例えば、テレビと学生運動や、インターネットと少子高齢化、それらの関係はどうなのかと問い掛ける。それは時間が経たないと判明しないだろう、「二世代前のメディアでなければ、客観的な分析は難しい」(p236)、そういう説があるらしい。

# 高嶋米峰と聖徳太子、下村宏と玉音放送。ザ・ベストラジオ2021(サイト内)。文化放送戦後75年スペシャル「封印された真実~軍属ラジオ」(2020/8/15)

一命

  • 2022/01/10 06:30
  • カテゴリー:読み物

男らしさ、りりしさを求めたのではない。人目につかぬ平凡さに心をひかれた。これという取り柄のないところが好きだったのだ。

討手に選ばれたフィアンセが見事に役目を果たして帰宅する。もう昨日までの平凡な男ではない。娘心は複雑。人の心はわからないものだ。滝口康彦著短篇集「一命」(講談社文庫、2011年)に収載の「上意討ち心得」から(p136)。

最初に収められている「異聞浪人記」が二度目の映画化の際、「一命」のタイトルが付けられた。書名はそれから採られている。

文庫100冊(サイト内)。収録作、異聞浪人記、貞女の櫛、謀殺、上意討ち心得、高柳父子、拝領妻始末

イシューからはじめよ

  • 2022/01/07 06:22
  • カテゴリー:読み物

『悩む』とは、答えが出ないという前提のもとに、考えるフリをすることであり、全く意味はない。変化を生まないとわかっている活動に時間を使うのは無駄以外のなにものでもない

K氏からのメールにそうあった。出典が記載されていたので図書館で借りて読んでみた。安宅和人著「イシューからはじめよ」(英治出版、2010年)。その話は「はじめに」に登場する(p4)。小見出しは「悩まない、悩んでいるヒマがあれば考える」。

本書、副題は、知的生産の「シンプルな本質」。ビジネス書と言うよりは、自然科学の論文を書く研究者向け指南書の趣あり。

K氏への返事にこう書いた。「読んでみました。判ったようで判らない、それらしい用語が少なからず出て来きます。まず、「イシュー度」と「解の質」を二軸とするマトリクス、これがしっくり来ない。イシュー度は重要度、解の質は理解度とでも置き換えるとぐっと身近になるものの、前者は絶対的な評価で事前に認識できる一方、後者は作業を終えてこそ判明する事後の結果であり、マトリクス全体の時間軸が捩じれている、それがしっくり来ない理由でしょうか。

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