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カテゴリー「読み物」の検索結果は以下のとおりです。

果断

  • 2022/01/24 06:33
  • カテゴリー:読み物

次長がここにいれば、報告の二度手間を防ぐことができる。情報をすべて署長室に集約するんだ

次長(副署長)ばかりか、刑事課長ら署の幹部も詰めさせて、署長室を即席の指揮本部にしてしまう。時間や手間を省くとともに、的確な判断をタイムリーに下すために。引用は、今野敏著「果断」(新潮文庫、2010年)から(p21)。隠蔽捜査シリーズ第2作。主人公の竜崎は左遷されて今は所轄の署長。

「彼らは、ペンを手にした戦士などではない。商業主義に首までどっぷり浸かっている」。前作に続いて、主人公は、新聞やテレビを酷評する(p99)。メディアは「上に行けば行くほど、他社を抜くことだけを考えている。つまり新聞を売るためであり、視聴率を稼ぐためだ。言論の自由など彼らにとってはお題目に過ぎない。要するに抜いた抜かれたを他社と競っているに過ぎない」。

今野敏(サイト内)

チーム

  • 2022/01/22 06:27
  • カテゴリー:読み物

単純な話、速い選手を10人集めたら勝てるはずなのに、現実はそうならないあたりに駅伝の奥深さを感じます。

堂場瞬一著「チーム」(実業之日本社文庫、2010年)、付録の対談から(p436)。すすめられるままに読んだ。駅伝の話だったんだな、読むまでそのことは忘れていた。

脈絡なくこんな話を思い出した。パレトの法則(2:8の法則)を人材に当てはめると、100人いれば、20人が優秀で、80人がそうでもない、ということになる。では、その優秀な20人だけ選び出してチームを編成するとどうなるか。しばらくすると、やはり、比較的、優秀な4人とそうでもない16人に分かれて来る。誰かにそう聞いた。本当だろうか。

文庫100冊(サイト内)

冬の標

  • 2022/01/21 06:42
  • カテゴリー:読み物

あのまま絵の道をすすんでいたら、どうなっていただろうかと、十八年も経ってから思うのは馬鹿げているが、このまま何もはじめなければ次の十八年が繰り返されるだけであった。

嫁に行くことになり、あれほど好きだった絵を続けることを諦める。それから18年が経ち、主人公の明世は36歳になっていた。乙川優三郎著「冬の標」(中央公論新社、2002年)から(p58)。

著者の作品はいくつか読んだことがある。印象に残っているのは、例えば「かずら野」「向椿山」など。これからは、この「冬の標」を、まず思い浮かべることになるだろう。

36歳になった主人公は、柵(しがらみ)を振り払って、絵の道を行くことを決心する。突き詰めて考えた末の結論だった。彼女ほどの切実さはなかったけれど、私にも18年間の逡巡と36歳の決心があった。

私が就職した先は、ある化学メーカーだった。大学で専攻した化学の知識や技術を活かす無難な選択だったと思う。それは確固たる信念に基づいていなかったこともあって、これで良かったんだろうかという思いが時として頭をもたげた。18から20歳の頃に別の道を見ていた。大学を入り直すことさえ考えた。働き始めてからも、それが、いつも心のどこかに引っかかっていた。大した才能はないし意志も弱い、そっちの道はない、それは判っていたけれど、煮え切らなかった。ようやく吹っ切れて、別の化学メーカーに転職し新たなチャレンジを始めたのは結婚が契機となった。36歳だった。私の場合、36歳の決心は、切り替えではなく、迷いながら歩んできた道にどっぷり浸かり直すことだった。

あれから疾うに18年は過ぎた。さらに6年が経とうとしている。第二の転職などそこそこ波乱はあったけれど、やはり無難な選択、その域からは出なかった。主人公のその後の苦難を想像してみて、そんな風に思う。

円卓文庫100冊(いずれもサイト内)

水島新司さん死去

  • 2022/01/20 06:28
  • カテゴリー:読み物

水島さんの「野球狂の詩」を毎週楽しみにしていた。少年マガジンの発売日に駅前の売店へ自転車を走らせたものだ。小学校の高学年だった。当時ほかには、「愛と誠」「うしろの百太郎」「おれは鉄兵」「三つ目がとおる」などが連載に並んでいたように思う。「釣りキチ三平」も同じ頃だ。どれもこれも今また読むと懐かしく思うんだろうな。

水島新司さんが死去 漫画家「ドカベン」「あぶさん」(1/17)、矢口高雄さん死去 「釣りキチ三平」「マタギ」(20/11/26)

草のつるぎ

  • 2022/01/19 06:27
  • カテゴリー:読み物

ぼくはかつて他人になりたいと思った。ぼく自身であることをやめ、無色透明の他人になることが望みだった。なんという錯覚だろう、ぼくは初めから何者でもなかったのだ。それが今わかった。何者でもなかった。

自分が同僚らを憎むように彼らも自分を嫌っていると思っていた。とんだ思い違い。みんな無邪気な仲間だった。引用は、「野呂邦暢小説集成3」(文遊社、2014年)に収録の「草のつるぎ」から(p98)。初出1973年。

並行して読んでいたシーラッハの短篇に「透明人間になれると信じていた」犯罪者のケースが紹介されていた。透明になりたがる人はどこにでもいるものだ。その作品は、シーラッハ著「犯罪」(創元推理文庫、2015年)に収載されている「愛情」(p237)。

野呂邦暢シーラッハ(いずれもサイト内)

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