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カテゴリー「読み物」の検索結果は以下のとおりです。

わが母なるロージー

  • 2022/02/19 06:27
  • カテゴリー:読み物

人間ってのは誰かのことを知っているつもりでも、じつはまったく知らないんだ。

このシリーズではこれがテーマの一つなのだろうか。似たような表現が一度ならず出て来る。ピエール・ルメートル著「わが母なるロージー」橘明美訳(文春文庫、2019年)から(p164)。カミーユ・ヴェルーヴェン警部シリーズの中編である本書は、時期的には第二作と第三作の間にあるようだ(第2.5作)。

そう言えば円紫さんが何か言っていた。正確に覚えていない。HDD内を検索してメモを見付け出した。「内に何かを秘めない人はいません。何をどれぐらい表にし裏にするかは人によって違います。どんなにしてもいえないことというのは誰にでもあるのです。ある意味では、その割合こそが、動かしようのないその人らしさを作るのでしょう」。北村薫著「夜の蝉」(1991年)に所収の「六月の花」から。

ピエール・ルメートル北村薫(いずれもサイト内)

落城記

  • 2022/02/17 06:38
  • カテゴリー:読み物

もしかしたらとわたしは思う。盥はすべてを映す。わたしが身をひけば盥の影は消える。この世に生きるということは、つかのま盥の水にわが影を投げることではないのか。

腹違いの兄を殺し自分も跡を追う、「死を怖れていないつもりでも実は怯えていた」。生も死も自身で決められる。梨緒は水に映る自分の姿を見てそのことに気付く。迷いは去り心の安らぎを得たのだった。野呂邦暢著「落城記」(文藝春秋、1980年)から(p171)。

著者の「諫早菖蒲日記」と同じく諫早を舞台とする歴史もの。菖蒲日記の方は、幕末動乱が背景。この「落城記」はさらに二百数十年遡り、時代は豊臣秀吉の世。西郷家歴代分限帳や伊佐早図誌などの文書を焼く挿話(p89)は、時を経た二つの物語を繋ぐかのようだ。

野呂邦暢(サイト内)

初陣

  • 2022/02/15 06:34
  • カテゴリー:読み物

手に余るなら、上に預ける。それも原則だ。みんな、自分が組織の一員であることを忘れて、できないことを背負い込むから悩むんだ。手に余る事柄は上の者に任せる。

伊丹が泣きつくと、竜崎がたちまち解決の道筋を示す。やるべきことをやる。そして手に余るなら云々。今野敏著「初陣」(新潮社、2010年)に所収の「懲戒」から(p146)。隠蔽捜査シリーズ3.5、スピンオフ8編。

帯に「組織の壁に悩む伊丹の苦境を竜崎の信念が救う」とある。竜崎と伊丹は幼馴染みで入庁同期。いつも脇役の伊丹が本書では主役。

今野敏(サイト内)。策士策に溺れる(p144)

将棋の子

  • 2022/02/11 06:29
  • カテゴリー:読み物

夢を目指す人間は、閉ざされたときの覚悟はできている

大崎善生著「将棋の子」(講談社、2001年)から(p178)。

自分のことを「こっち」と言う成田英二はじめ、夢を閉ざされ棋士になれなかった男たちの物語が綴られている。舞台は、棋士養成コースである奨励会。プロを目指す天才たちが全国から集まって来る。街の将棋教室で大人たちにも負けなかった少年たちは、ひと度この天才集団に入るや自分が平凡な存在であることを思い知らされる。

成田は、高校生の時に奨励会に入る。5年後、まだプロになれず悶々としている頃に、羽生善治が入会して来る。この10歳年下の「子供」に勝てない。奨励会での成田の対羽生戦は「0勝4敗」だった。その後の二人の歩みは惨たらしいほどに対比を見せる。羽生が弱冠15歳で奨励会を突破しプロ入りを果たす一方、前後して、成田は奨励会を退会。片や七冠すべてのタイトルを制覇し1億円プレーヤとなる。片や夢破れて故郷に帰り「落ちるところまで落ちる」。

成田は、ビル解体清掃業やパチンコ店などの職を転々とし、本書の著者が訪ねて行った時には、古新聞回収業者に雇われていた。全寮制で月々の手取り1万から2万円の「ほとんど無収入に近い状態」。サラ金に借金もある。恋人に会いにも行けない。それでも奨励会を退会した時に記念でもらった駒は肌身離さない。将棋を「自分の支え」に生きている。

切ない物語もエピローグを読むと救われる。後日譚が少し語られるのだ。「その駒を眺め消えかけていく勇気を辛うじて振りしぼった」彼に拍手を送りたい気分になった。

※敬称略

文庫100冊聖の青春(いずれもサイト内)。羽生善治|Wikipedia、羽生善治九段、A級から初の降級 連続29期で途絶える 順位戦(毎日新聞、2/4)。沢木耕太郎著「敗れざる者たち」。「末路哀れは覚悟の前やで」四代目桂米團治。敗者の背中に学ぶ 挑戦の価値大切にしたい(産経新聞、2/11)

北村薫の創作表現講義

  • 2022/02/09 06:22
  • カテゴリー:読み物

現実そのものではないことによって、より切実に伝えられる真実がある

例えばフェルメールの「牛乳を注ぐ女」は、写実の極致のようにも見えるけれど、実物が忠実に描かれているわけではない。北村薫著「北村薫の創作表現講義-あなたを読む、わたしを書く」(新潮社、2008年)から(p260)。

最寄り図書館で借りて来たものの、なぜか手が伸びず放っておいた。返却期限が迫る。読まずに返すのはどうかと思うので、ぱらぱらとめくって拾い読みしてみたら、これが面白い。最初から読み直すことになった。

北村薫(サイト内)。グラン・パルティータ(p309)

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